河合遺跡
概要
- 遺跡名:河合遺跡
- 遺跡名よみ:かわいいせき
- 所在地:松原市河合1~6丁目
- 種類:集落跡、官衙跡
- 時代:弥生~近世
松原市域南西端の西除川西岸に位置する遺跡で、古くから弥生時代の石器が採取されることで知られていました。
古代丹比郡の役所跡
河合5丁目(松原市学校給食センター所在地)では、奈良時代の官衙(古代の役所)と思われる建物が見つかっています。残された柱穴から、約55メートル四方の空間を細長い建物(長舎)がロの字に囲い、その周りに倉庫等が建ち並んでいたと推測されます。
これらの建物が建てられる以前は谷状の地形で、そこには飛鳥時代の漆を入れて運んだ須恵器や瓦などが捨てられていました。捨てられた瓦のうち1点が堺市美原区の古代寺院跡などで多く見つかる丹比廃寺式であることから、この地の開発に古代氏族の丹治比氏が関与していた可能性が考えられます。
また、見つかった遺物に縄文時代の石器や古墳時代の埴輪片が混じっていることから、古くからこの土地を人々が利用していたことが分かります。

空間をロの字に囲って遮蔽する長舎跡(北東の隅)

空間をロの字に囲って遮蔽する長舎跡(南東の隅)

中の漆を取り出した後に捨てられた飛鳥時代の須恵器

奈良時代の官衙がなくなる頃に捨てられた土器

縄文時代の有舌尖頭器

飛鳥時代の丹比廃寺式軒丸瓦
ため池の底から見つかった古代の村と大溝
河合3丁目にある人口のため池である古池の底(河合古池公園所在地)では、奈良時代から鎌倉時代にかけての集落が見つかっています。100基近い柱穴が確認されており、多くの建物が建ち並んでいたと考えられます。そのうち、ため池の東側の堤で確認された直径約1mの柱穴からは、飛鳥時代から奈良時代の秤(はかり)の錘(おもり)が見つかりました。また、奈良時代の井戸に捨てられた土器には墨が付着したものや硯に転用されたものがあり、通常の農村集落ではなく度量衡(どりょうこう)を司る役目を担う役人が働く場所であった可能性があります。

尻池の池底や堤の下で見つかった集落跡

奈良時代から鎌倉時代の建物跡

奈良時代の井戸

井戸に捨てられた土器や斎串

銅製錘が見つかった奈良時代の建物跡

平安時代の溝

奈良時代の須恵器杯

奈良時代の把手付き土師器甕

墨が付着した奈良時代の土師器杯

須恵器小型壺

銅製錘が見つかった柱穴

銅製錘の出土状況

飛鳥時代から奈良時代の銅製錘
更に、多数の柱穴の南側では幅約4.8m・深さ約2mの大溝が見つかっています。「丹比大溝」と命名された大溝は、南東から北西に流れており、河合6丁目で大阪府教育委員会が発見した大溝につながる可能性があります。この大溝は、西除川の水を一帯の水田に引き込む目的で飛鳥時代に開削されたと考えられています。

幅約4.8mの大溝「丹比大溝」(東から撮影)

大溝の埋まった状況
多数確認された柱穴や井戸などからは、瓦器椀など鎌倉時代の土器が見つかっており、鎌倉時代の中頃までは集落があったことは確実です。また、瓦が出土していることから、お堂や倉庫のような瓦葺の建物が存在した可能性もあります。 古池の底から集落が発見されたことにより、大溝を開削して河川から直接水を取り込む方法から、多くのため池を水路網で結び水を送る方法へと鎌倉時代に変化し始めたことが明らかになりました。

鎌倉時代の瓦器椀

鎌倉時代の瓦器椀

中世の軒丸瓦

中世の軒平瓦

中世の軒平瓦

中世の軒平瓦
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