5月の生活

まつばらの民話をたずねて

私たちの暮らしや生活様式、子どもたちの遊びなど、時とともに変わってきました。その月々の生活や行事など、昔はこんなことがあったのかと、今では懐かしいと思う行事や遊びなどを紹介していきます。

5月の生活

皐月の文字
5月、こいのぼりのイメージイラスト

 三月のお雛様の祝いは、村単位ではなく仲間内で行われるささやかな祝い行事でしたが、五月五日の子供の節句は、松原の『ならわし』としての行事でした。お雛様の祝いと同様に、戦前まではこの日に鯉のぼりや具足などを飾る家はほとんどなく、飾っていたのは『ええし』と呼ばれる上流階級の家庭ぐらいでした。しかし、戦前からちまきや柏餅を菓子屋で買って食べる習慣はどの家庭にもありました。このような生活習慣の中には、古代から栄えた街道をもつ松原の生活形態の特色にもなっていることが沢山あります。それは街道を行き交う奈良、堺、大阪の生活習慣や考え方、文化などが、松原の生活の中に色々な形態で溶け込んで、松原独自の生活形態がつくられてきたからのようです。ちまきや柏餅のように松原の地で生まれて生産されたものでない贅沢な食品が『まんじゅうや』と呼ばれる菓子屋で戦前から売られていて、戦前にはまだ金銭の流通が発達していない時代であったにもかかわらず、大抵の家が餅も家で作らず買って食べていた事は金銭流通の活発な堺の文化の影響かもしれません。

 さて、松原では五月五日の節句の呼び方がいろいろあります。子供の節句、菖蒲節句、幟(のぼり)節句などと言います。この日は餅を食べ、鯉のぼりや武者人形を飾る習慣の他に、よもぎと菖蒲をたばにして入り口のひさしに挿したり屋根の上に上げたりしました。この時、地区によっては菖蒲とせんだんの葉を屋根に上げる所もあったようですが、大正時代は、「菖蒲、よもぎ、せんだんを各一本ずつ三本束ねて家の角側の屋根、門の屋根、便所の屋根にほりあげておくと魔物や悪い病気が入ってこない。」と言われて、どこの家もしっかりと守ったそうです。それが、いつのまにかあまり行われなくなり、地区ごとに簡略した形態で最近まで残っていましたが、それも今はあまり見かけなくなりました。また、この日は菖蒲湯に入ったようです。菖蒲湯は菖蒲の葉を刻んで袋に入れる家庭もあれば菖蒲をそのまま湯船に浮かす家庭もあったようです。この菖蒲湯は商売の思惑も加わって、今は多くの家庭で行われるようになりました。

こうして五月の生活がはじまります。五月からは田植えへ向かい、稲の生育とともに水との戦いの幕が開きます。この戦いは大変なことでした。それゆえに六月の『満水喜び』、七月から八月の『雨喜び』の行事は、大切な水のことを村を挙げて喜んだ姿が素直に表れています。

 また、『奈良の三度粥河内の五度粥』の言葉を耳にした人は多い事と思います。茶粥は熱々を口へかけ込むのですが子供達には舌が焼けるほどあつく、母親に「熱い」と言うと「しんこ(大根の漬け物)ほりこんでさませ」と言われた思い出を数多くの人が語っています。この茶粥を朝食、昼食、夕食とたべます。それに『お茶』とよぶ朝十時と午後三時に茶粥を食べる習慣があったので、松原では五度茶粥を食べたそうです。この『お茶』と呼ばれる茶粥を、大人が働いている田まで持っていくのが子供達の大切な仕事だったようです。五月から十月末の稲刈りまでは子供達は家の手伝いに忙しい日々が続き、学校も田植えと稲刈りの時期は休みになったそうです。

 五月五日の次は五月八日の灌仏会がありました。「卯月八日は花より団子」の言葉があるそうですが、この日子供達が地域の寺などの玄関口などで色々な花で小さなお堂を造り、その中にお誕生のお姿をしたお釈迦様を安置するのだそうです。子供達は甘茶をお釈迦様に掛けて、持参した小さなビンや壷の中に甘茶をいただいて帰ると玄関などの柱に掛けます。これによって、害虫などが入って来ないまじないとなるのだそうです。この日は米の粉の餅を食べたそうですが、灌仏会は今も残っているものの、子供達がする行事は今は消えてしまったようです。

大阪府文化財愛護推進委員 加藤 孜子(あつこ)

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