2月の生活

まつばらの民話をたずねて

私たちの暮らしや生活様式、子どもたちの遊びなど、時とともに変わってきました。その月々の生活や行事など、昔はこんなことがあったのかと、今では懐かしいと思う行事や遊びなどを紹介していきます。

2月の生活

如月の文字
2月、節分のイメージイラスト

 一月は行く、二月は逃げる、三月は去るとは良くたとえたもので、骨正月(骨小月と書く人もいる)の一月二十日が過ぎると、すっかりとお正月は何処かへ行ってしまいます。骨正月とは、正月のために準備した食べ物が骨しか残っていないところから名付けられた例えの通り、二十日を過ぎるとすっかり正月気分も終り、二月三日のとしこし(節分)を迎えます。

 松原では、節分のことを『としこし』と呼び、「福は内、鬼は外」と声を張り上げて豆まきをしますが、大堀地区では「福は中、鬼は外」と言っていたそうです。お参りはあびこ観音へ行くのが一般のようでしたが、富田林のお不動さんへ行く人もあれば、住んでいる所の氏神様へ行く地区もあったようです。我孫子の観音さんへは少し遠いけれど、昔、子どもたちは電車に乗らず往復歩いたそうです。

 『としこし』の行事は炒り大豆が活躍します。豆を炒る焚き付けは小正月の小豆粥と同じで豆がらで炒りました。こうして炒った豆を3つの用途に分けます。まず半紙に人の輪郭を書きます。これを「ひとがた」と呼び、このひとがたの右上に氏名と年齢を書きます。この用紙を家族の人数分作り、各自が年齢より一個多い数の豆を包んでお宮さんへもって行き、賽銭箱の横あたりに置かれた大きな入れ物の中に入れて、お参りをして家へ帰ります。

 次に、神社から帰宅して食卓に着くと、大豆を年の数より一個多く食べます。このとき大豆を「食べる」と言わず「年をとる」という言いまわしをするそうです。食べ終わると、夕食です。この時の食事はご飯と鰯の焼いた物だったそうですが、この他にけんちん汁のような汁を付ける家もあったようです。この汁は鍋に野菜であれば何でも入れたようで、作り方は、一日水に浸した大豆を臼で挽く、または布巾に包んで細かく砕いた大豆を野菜が煮えた頃を見計らって入れ吹きこぼれないように煮込み、味噌で味をつけたようです。この汁は、おかずとしてだけではなく、我孫子の観音参りで疲れと空腹で我が家にたどり着くと、留守番をしていた家の者が、湯気の上がったこの汁を、「まず飲んで精をつけろ」と出してくれます。これがこの世の最高の味で『生きている喜び』を実感するほど美味しく思えたと、という話を聞きました。

 こうして一連の行事が終わると、いよいよ炒り豆の三つ目の用途である豆まきが始まります。「ふくわぁ~うち」の声を合図に少し戸を開け「おにわぁ~そと」の声と共に、その家の主人が力一杯に外へ向かって豆を投げつけると、鬼が家の中へ入ってくる前に戸を閉める役目の者(通常は主婦)がすかさず戸を閉めます。この仕草を各部屋の戸と窓で行います。これで夕方から夜にかけて行われる、としこしの行事は終了です。終了すると、この日は夜なべをせず全員早く寝たそうです。

 あくる日の朝、としこしで食べた鰯の頭をヒイラギの木の枝に挿して玄関の柱や戸口に縛り付けます。鰯のにおいは鬼が嫌いなのだそうです。これによって鬼が家に持ち込む病魔や悪霊を玄関口でくい止めるのだそうです。

 その他に何日とは決まっていませんが、一月か二月の寒い頃になると狐のせんぎょ(施行)と呼ばれる行事がありました。 地区ごとや仲間内で行ったようです。方法としては、田や狐の住みかあたりに油揚げや赤飯を置いて帰り、代(代参まいりの代)と呼ばれる女性(シャーマン、霊媒者)によって狐おろしと呼ばれる行事が行われます。これは代の口を借りて狐の生活の上で不都合な事や村人の願いなどを、村人と狐であれこれと話し合う行事で、松原の土着生活信仰が生んだ『松原の生活と風俗』の一つです。

 二月はじめの午の日に行われる行事に「初午」がありますが、松原の場合はお稲荷さんを祀っている家や商売をしている家は、二月の初午に伏見稲荷に参りますが、この行事とは別に三月の初午の日に地区で祀られているお稲荷さんの初午行事がありました。「せんぎょうぉー、せんぎょうぉー、のうせんぎょぉ~」。この唄は、二月の初午で伏見稲荷参拝者と松原の狐のせんぎょで餌まきの時に歌う唄ですが、松原の三月初午で歌う唄はまた別の唄を歌います。

大阪府文化財愛護推進委員 加藤 孜子(あつこ)

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