12月の生活

まつばらの民話をたずねて

私たちの暮らしや生活様式、子どもたちの遊びなど、時とともに変わってきました。その月々の生活や行事など、昔はこんなことがあったのかと、今では懐かしいと思う行事や遊びなどを紹介していきます。

12月の生活

師走の文字
12月、杵と臼の餅つきのイメージイラスト

 昔の松原の12月は、もうすぐお正月がやってくる楽しくて忙しい月でした。
お正月の前には、一家総出でがんばって作った「しめ縄」を売った現金収入が入るのです。そして大阪などに奉公に出ていたお姉さんたちが帰ってきます。

地元で暮らしている子どもたちが、下の子の子守をしながら正月に帰ってくる姉を待つ唄に次のようなのがあります。

”ねんねんよー
おころりよー
ねんねのおもりは何処へいた
ひらの どしょうまち せんば行った、
大阪の土産に何もろた
大根 人参 
しょいこ背負子もろた”

と唄われていました。
唄はアカペラで、 ピアノにのる曲ではありませんが、郷愁のあるやさしさがあります。奉公先からの土産は、一般には半襟又は下駄だったようです。それに奉公先の奥さんの配慮で、古着や食べ物など適当に包んでもらったようです。給料は大抵先払いの年期奉公でしたのでありませんでしたが、特別に働いたり、祭りなどで、お金やお菓子をいただくと、盆と正月の休みに帰るときの土産にと大切に保管していたようです。

さて、しめ縄は秋上げが終って29日ごろまで作っていたようで、31日の夕方になると、大和川が埋まるほどしめ縄の売れ残りが流れていたと言われるほど作っていたそうです。しめ縄の発祥地を示す民話が高木地区に残っています。この民話によると、現在のごんぼうしめ縄と呼ばれるのは高木が発祥で、それまでは、家の周りを夫婦(めおと)だれの縄を張り巡らせたと伝えられています。

女性たちはお正月の準備です。29日は苦(9)がつくといって、正月の用意はせず掃除に精を出していたようです。30日は餅つきの家が多く、お供え、小餅、もちばな《柳の木に餅をつけて作る正月飾り、3月の春ごとでこの餅がバラバラと落ちてばらそ(あられ)となる》などを作ります。お正月のおせちは七色の食品で飾ります。今はもうこのおせちを作れる人がすくなりましたが、戦前には、大阪などから松原の旧家へ嫁いだ女性がはじめての御正月で困るのがこの古代から栄えた土地に根付いたしきたり料理でした。

昔は料理を作るときには、今と違ってこだわりがありました。例えば、月見の団子も月見の種類によって団子の数が決まっていて、旧歴の11月23日は「三夜待ち」の月見で16個の団子を供えて月の変わる姿を眺めながら夜なべをしたと聞いたことがあります。

また、最近は見かけなくなりましたが松原の古い家の戸口には、12月の23日と書いた御札が逆さに張ってありました。これは、泥棒よけのまじないだそうで、この日の前後に冬至がありました。この日にかぼちやを食べると一年間風邪を引かないといわれています。なすびをひいた後の茎を乾燥させてそれで炊きます。松原の燃料は藁でしたが、この日はなぜかなすびの茎で炊きました。

大阪府文化財愛護推進委員 加藤 孜子(あつこ)

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