67 東池庵五重石塔の造立

五重石塔の画像

五重石塔(若林1丁目)
現在、2層と3層目に祀られている仏像や経巻は造立時のものではなく、他所から移されたものである。

日理が父母・歴代住職・親族・信徒を供養する

若林の長尾氏が創建した日蓮宗の本了寺(「歴史ウォーク」66)から東に行くと、若林神社が鎮座しています。この境内に接して、同じく日蓮宗の稲荷山東池寺(若林1丁目)があります。民家風の外観ですが、現在は無住となっています。

同寺はもともと東池庵といい、日空が開基しました。江戸時代半ばの正徳2年(1712)の創建と伝えています。ただ、『日蓮宗大観』には、江戸初期の慶長7年(1602)5月16日の創立とあります。そうすると、市域で法灯を続ける日蓮宗の3カ寺(ほかに、田井城5丁目の善宗寺がある)のなかで、最も早く建立されたことになります。

幕末には荒廃していたらしく、本了寺墓地にある本了寺32代住職の日泰の墓石に同寺が東池庵の管理にあたっていたことが刻まれています。いまも本了寺住職が兼務しており、東池庵の日蓮座像は同寺本堂に移されています。

この東池寺に江戸時代の五重石塔が祀られています。本市には層塔の石造物が少ないことから、近世のものとはいえ、貴重なものでしょう。また、石塔には銘文が刻まれ、だれが、いつ、何の目的で造ったのかもわかり、いっそう歴史的意義があります。

五重石塔は花崗岩製で、総高5メートル余りをはかります。相輪が天を突き、一方、基礎は4脚の足をもち、反花で飾っています。初層と第2層の各面に銘文を刻み、第3層には欄間の装飾文様が見られます。第4と第5層には、それぞれ格狭間がつけられています。各竺の裏側には木造建築に見られる垂木も形どられ、精巧な造りといえるでしょう。

「大小信施、引導結縁、法界方等」と書かれた石塔は、銘文によると江戸時代後半の明和年間(1764~72)、東池庵7代住職の日理によって造立されたことがわかります。

日理は、道明寺村(藤井寺市)の松田氏の出身。荒れていた東池庵を中興し、父母・歴代住職・親族・信徒の供養のために、自らノミをもって五重石塔を建てたのです。銘文冒頭で「河州丹北郡若林邑稲荷山東池庵之隠士沙門日理」と名のっています。

第2層には、金銅の釈迦如来と多宝如来の2像を祀る軸口をうがち、第3層には、墨字の法華経8軸と開結2経1軸をおさめる軸口を設けました。現在、第3層に「妙法華経」と彫られた銅版扉があることから、第2層にも同様の扉が備えつけられていたでしょう。

日理は、明和9年(1772)1月に亡くなり、堅立院とおくり名されました。石塔には追刻があって、開基の日空など歴代住職順に日理の名も記されています。

いまも、石塔には香華が絶えず、境内墓地に詣でる人々の心のよりどころとなっているのです。

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