65 発掘された丹南藩陣屋

丹南藩陣屋の発掘の写真

丹南藩陣屋の発掘(松原市教育委員会提供)
写真左側が北。左上に建物が確認され、左、右下に井戸跡が2つ見られる。
外側には中世の濠がコの字型にめぐっている。

藩校の丹南学校跡から磁器や硯・水滴が出土

丹南3丁目の府道中央環状線南側に融通念仏宗の来迎寺があります。同寺はすでに紹介したように、江戸時代を通じて東接する丹南陣屋を館舎とした丹南藩主高木氏の菩提寺でした(「歴史ウォーク」61・「歴史ウォーク」62・「歴史ウォーク」63・「歴史ウォーク」64)。

丹南陣屋の跡は、いまでは住宅・店舗・工場などになって、その遺構は何も残っていません。平成11年(1999)、来迎寺東側に接するゴルフ練習場が取り壊され、新たに家電量販店がオープンすることになりました。このため、松原市教育委員会は同年2~4月、発掘調査を行ったのです。

その場所は、陣屋の中央部を占める丹南役所の北側で、字「学校敷」とよばれる藩校の丹南学校があったところです。そこからは、近世の遺構・遺物のほか、鎌倉時代の河内鋳物師の工房跡や南北朝期の丹南城に関わるらしい1辺60メートルを越えるコの字型に巡らされた濠、室町時代の「来迎寺」という文字の入った軒丸瓦などが検出されました。

陣屋に関しては、宴会などに使用された18世紀ごろを中心とした色絵染付大皿・染付皿・染付椀・磁器皿・急須などが見つかりました。その多くは肥前(佐賀県)の伊万里系の磁器で、内面の底にあたる「見込」に5弁花を描き、彩色も豊かで上品なものです。また、丹南学校で使われた文房具である硯や水滴なども数多く出土しました。これらの1部は、上田7丁目の「ふるさとピアプラザ」の郷土資料館に展示されています。

ところで、丹南学校は明治元年(1868)に12代藩主高木正坦が開設し、午前は漢学や筆道、午後は武術を教えました。生徒は藩士の子弟だけではなく、 庄屋・年寄や豪商の子弟も含み、 通常50人、寄宿者も15人を数えました。就学年齢は6歳から15歳にわたりましたが、明治4年(1871)、廃藩置県で廃校となりました。

しかし、翌明治5年より堺県の管轄のもと、丹南・岡、および丹上・真福寺(美原町)の4カ村を校区とする河内国第29番小学校に引き継がれ、明治9年には丹南小学校として明治40年まで来迎寺の東側に存続したのです。同校は真福寺へ移転後、今日の美原町立北小学校(美原町大保)に発展していきました。

『北小学校創立一二〇周年記念誌』(平成4年)によると、 明治36年に入学した卒業生の方は「丹南藩(高木氏)陣屋敷の馬小屋を改造した建物で、当時では数少ない瓦葺きの校舎でしたが、よく雨漏りがしました。… 教室の周りに姥目樫の木が植えられていました」と思い出を綴っておられます。

こうした歴史を忘れないため、丹南の旧地に藩校や小学校跡の説明プレートが設置されることが望まれます。

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