61 高木氏と丹南藩一万石

高木正次の墓の画像

高木正次の墓(丹南3丁目。来迎寺)
初代丹南藩主高木正次は寛永7年(1630)11月29日に68歳で亡くなった。
墓石に「高木主水正徳五位下源正次、寛永七年庚午歴十一月晦日」とある。

丹南に陣屋をおいて藩庁所在地とする

譜代大名、高木氏の丹南藩一万石の陣屋が丹南3丁目におかれていました。陣屋とは、3万石以下の大名の館舎をいいます。

大阪の陣(「歴史ウォーク」60)で戦功のあった徳川氏直臣の高木正次が元和9年(1623)に初代丹南藩主となって以後、高木氏は江戸時代を通じて明治4年の廃藩置県まで248年間にわたって藩政を継続しました。

丹南藩の領地は、江戸後期には松原市域の丹南、向井・清水・高木(現新町)、堀・池内(現天美)、一津屋や羽曳野市・藤井寺市・八尾市・堺市・大阪狭山市・美原町の河内国丹南郡14ケ村、丹北郡6ケ村、志紀郡2ケ村の計22ケ村に広がっていました。また、栃木県足利市域にも飛地領地がありました。

河内周辺では、北条氏の狭山藩(大阪狭山市)、本多氏の西代藩(河内長野市)、渡辺氏の伯太藩(和泉市)などの陣屋も知られています。
高木氏は三河国碧海郡(愛知県)、いまの安城市高木町の出身で、正次の父の清秀が徳川家康のもとで武功をあげました。高木町には安城市史蹟に指定された「高木城跡」の石碑と「高木清秀邸址」の案内板が建っています。

高木町から東へ1キロばかりいった岡崎市大和町にある妙源寺(浄土真宗)は家康が信仰した寺として有名ですが、ここに同寺門徒の清秀、正次、子の正成(2代丹南藩主)の墓石が祀られています。
しかし、家康が天正18年(1590)に豊臣秀吉から関東8カ国を与えられたのを機会に、清秀も家康に従い、相模国高座郡(神奈川県)に移りました。高木氏は現在の海老名市に含まれる中新田・社家・上郷の3ケ村などをおさめ、正次が丹南へ国替えになるまで中新田に館をおきました。

高木氏は初代正次以下、12代正坦まで続きましたが、6代正陳の元禄年間以後は参勤交代の義務を免ぜられ、藩主は江戸定住となりました。このため、藩の行政は江戸表で行われ、丹南は城下町のイメージとほど遠かったようです。

陣屋は、府道中央環状線の南側で、東は中高野街道、西は来迎寺に接していました。陣屋南側中央は、高木氏に仕えて郷士となり、庄屋職もつとめた松川家が占めています。松川家前が表道筋で、陣屋は南向きで正門が南側にありました。家臣たちの住居も、陣屋内東側に多く建っていました。

高木氏は、融通念仏宗の来迎寺を菩提寺としたことから、境内には正次と11代正明の五輪塔が現存しています。また、山門前には14代で旧子爵の高木正得が昭和12年に記した「旧丹南藩主高木主水正陣屋址」の石碑が建っています。この正得の2女が三笠宮崇仁親王の妃である百合子様で、昭和16年に高木氏から皇族へ嫁がれました。

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