98 『河内鑑名所記』の中の狐塚

我堂村と狐塚の地図

我堂村と狐塚
明治41年測図。大正元年9月発行。
大日本帝国陸地測量部「金田」より。2万分の1。
我堂村は現在の天美我堂1-7丁目と西除川北側の天美西1丁目、天美南6丁目にあたる。

信太の森の女狐に通った布忍・塚本の男狐の伝承

 今年は、平安時代に活躍した陰陽師の安倍晴明が亡くなってちょうど1000年になります。晴明ゆかりの地では、占いブームにも乗って、いろいろなイベントを催しています。
 晴明は、阿倍野(大阪市)にいた安倍保名が信太の森(和泉市)に住む人間に化けた女狐と契りを結んで生まれた子どもだと伝えています。有名な「恋しくば 尋ね来て見よ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」は、晴明に狐の姿を見られた母親が身を隠して保名に書き残したものでした。
 まさか晴明が狐の子であるはずもありませんが、中世から近世にかけて、延々とそのように言い伝えられてきました。江戸時代前半の延宝七年(1679)に発行された『河内鑑名所記』の中にも、次のように信太の森の狐が登場します。塚本の狐 是ハ布忍に塚有。泉州信田の狐ハ女、塚本の狐ハ男、しのたへ通ひけるとそ。両所狐の名所なり。
 さすかなる つかもと茂る 木立かな 一志 
 塚もとの きつねはけてや 女郎花 栄貞
 『河内鑑名所記』は、河内の旧跡や見所をガイドした地誌ですが、布忍の塚本には狐塚があって、信太の森の女狐に通う男狐の名所として紹介しています。布忍の寺内栄貞や同じ布忍の一志は、人間に化けた塚本の狐を題材に俳句も添えました。
 狐塚については、我堂村(天美我堂)の北端、現在の府道我堂-金岡線が西除川に架かる天美大橋の北側にあった小山を狐塚と呼ぶことから、同塚の可能性が高いでしょう。松原市教育委員会では、狐塚古墳跡(全壊・前方後円墳)として文化財分布図に登録しています。
 享和2年(1802)6月の「東我堂村明細書上帳」に、西除川に関して「高木村北領内より西へ流れ、夫我堂村北領内に当り、字橋詰より字狐塚迄凡六十五間程領内ニ而」とあるように、狐塚は我堂村の字名としても知られています。
 我堂は今でこそ天美地区に属していますが、もともとは布忍地区に含まれていたようです。文禄3年(1594)の検地帳に「丹北郡布忍郷之内我堂村」とあり、江戸時代には東我堂村と西我堂村に分かれていました。
 狐塚の南方300メートル、現在の松原警察署我堂町交番あたりは塚本とよぶ字名ですので、我堂村集落の北部が塚本の狐の生活圏と伝えられていたのでしょうか。
 塚本の狐は、さしずめ布忍の安倍保名ともいえるでしょう。和泉市葛の葉町には、今も女狐を祀る信太森葛葉稲荷神社が鎮座するなど、狐伝承は世間に知れわたっていますが、同じように名所といわれた塚本の狐が忘れられてしまったことは残念なことです。

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