94 高鷲山と号する良念寺

高鷲山良念寺の画像

高鷲山良念寺(新堂3丁目)
山門に高鷲山の山号が掛かる。東除川沿いの羽曳野市島泉2丁目の聖徳太子建立と伝える明教寺(浄土真宗本願寺派)も高鷲山である。

17世紀後半に寺観が整った市域の真宗寺院

 中高野街道の旧道が走る新堂3丁目に浄土真宗大谷派の高鷲山良念寺があります。室町時代の永正12年(1515)11月28日、良念寺の上寺であった慈願寺(八尾市)の蓮西の願いによって、本願寺九世の実如より「木佛尊像」、つまり本尊の阿弥陀如来像が良念寺に下されました。この頃、良念寺が創建されたのでしょう。
 江戸時代に入って、本願寺は東西に分かれますが、東本願寺を本山とする良念寺にも、寺観を整えるため、寛文年間に慈願寺の住職法円を通じて本山から申物が下付されました。
 その「申物帳」には、寛文3年(1663)3月27日に宗祖の親鸞上人絵像である「御開山様」が下付されたとあります。ちなみに、翌28日には近くの願正寺(上田7丁目)にも「御開山様」が下されています。
 寛文7年(1667)3月10日には、「太子七高祖」が下されました。浄土真宗のお寺にお参りすると、聖徳太子や浄土教の七祖であるインドの龍樹・世親、中国の曇鸞・道綽・善導、わが国の源信・法然の七僧の画像が掛かっているのをみられたことがあるでしょう。
 申物帳に記された各地寺院の下付年月をみても、江戸時代前半の寛永年間から寛文年間、つまり1620~60年代頃が活発であることがわかります。この時期以降、市域の真宗寺院も現在と同じように、人々に信仰されていったのでしょう。
 良念寺には、のち宝暦3年(1753)4月5日にも、延享元年(1744)に亡くなった東本願寺17世真如の真影が下付されています。
 宝永2年(1705)6月に書かれた「松原村明細帳」によると、今の上田・新堂・岡からなる松原村には11カ寺がありました。このうち、東本願寺(大谷派)の真宗寺院が6カ寺を占めており、良念寺境内は東西13間、南北16間半を測りました。
 新堂では、良念寺に東接して真言宗の東之坊(廃寺)があり、中高野街道(旧道)沿いには融通念仏宗の浄光寺がみられます。
 ところで、良念寺の山号はなぜ「高鷲山」なのでしょうか。山号は、地名の場合、その所在地を示す意味でつけられます。例えば、古代から丹比柴籬とよばれていた上田の柴籬神社の近くに建つ願正寺の山号は「柴籬山」です。
 現在、高鷲の地名は羽曳野市西部の町名や近鉄電車の駅名が残るように、新堂から東へ数キロも離れています。しかし、良念寺は創建以来、寺地を動いた記録がありませんので、中世末から近世前半には、古代、丹比郡であった松原地域も高鷲とよばれていた可能性があります。古代の史料に「丹比高鷲原」とも記されていますので、その範囲は今以上に広かったのかもしれません。

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