4 地形と遺跡

市内最高所の今池付近(丹南4丁目)の画像

市内最高所の今池付近(丹南4丁目)中高野街道に面している

人々の生活をはぐくんだ微妙な起伏

 わたしたちは、松原市域のほとんどが平坦地であることを実感しています。しかし、その全域は必ずしもフラットではありません。

 実際は、市域南端の丹南(たんなん)4丁目にある今池付近が市内で最も高く39メートルを測ります。平安時代から近世にかけての集落跡や城館跡の丹南遺跡のあたりです。

 これに対し、最も低い所は市域北西端の天美北や天美西の大和川沿いで、10メートル内外です。旧石器時代から近世までの複合遺跡である大和川今池遺跡が所在しています。

 すなわち、市域は海抜10メートルから40メートルに至る30メートルの標高差があります。もっとも、市内の最高所は羽曳野市南恵我之荘(えがのしょう)と境を接する西大塚1丁目の河内大塚山古墳の後円部頂上で、45メートルに達します。でも、古墳は人工の造山ですので、この高さは除外しておきます。

 本市は、南に高く北に低い、緩やかに傾斜する台地地形上に立地しているといえます。
 この30メートルの標高差は、歩くかあるいは自転車に乗ることでよくわかります。市域を南北に縦断する中高野(なかこうや)街道を例にとりましょう。岡図書館・近鉄河内松原駅・三宅屯倉(とんそう)神社前の道です。南から北へ向かうほど少しずつ下っていることが実感できます。

 それでは、東西はどうでしょうか。市域を東西に貫いている長尾(ながお)街道をとりあげてみましょう。布忍駅前・松原病院・恵我南小学校の前を通る道です。すでに、飛鳥(あすか)時代の7世紀ごろには利用されていたと考えられ、古代は大津道とよばれていたようです。上田1丁目の中高野街道と交わる東側で、飛鳥時代の道路側溝跡や墨書(ぼくしょ)土器が見つかるなど、考古学的にもほぼ立証されている古道遺跡です。

 同道東端の一津屋(ひとつや)では25メートルを測るのに対し、西端の天美我堂(がどう)では15メートルほどです。つまり、長尾街道上の市域東端と西端の起伏は10メートル内外の差しかありません。本市では、東西方向に行き来するほうが高低差をさほど感じないのです。

 京都大学の足利健亮さんは、松原が平坦地である理由として、「市域地表面の堆積物が非常に新しく、せいぜい15万年ほど前の堆積であって、大きな起伏を生み出すほどの時間経過を経ていないからだ」と述べられています(『松原市史』第一巻、1985年)。

 さて、こうした地形上には多くの遺跡が存在しています。乱暴な表現ですが、わたしは市内のほぼ全域に旧石器時代から近世にかけて、遺物散布・集落跡・生産遺跡・古墳(跡)・寺院跡などが分布していると思います。

 教育委員会では、開発行為などで破壊に直面している埋蔵文化財を保護する施策に取り組んでいます。市内では、毎年200件以上もの埋蔵文化財に対する立会・試掘・発掘の各調査が行われています。このことは、多くの遺構が重なりあって地下に眠っている可能性を示しています。古くから、松原は人々にとって居住しやすい土地柄だったのでしょう。

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