3 旧石器時代から縄文時代へ

ナウマンゾウの復元模型の画像

ナウマンゾウの復元模型
(長居公園内の大阪市立自然史博物館)

松原にもナウマンゾウが!?

 松原市域は東西5.8キロ、南北5.1キロ、面積16.6平方キロで、そのほとんどは河内台地とよばれる平坦地です。それでは、2万年以上前に松原周辺に人々が住み始めた旧石器時代の自然はどうだったのでしょうか。
 この時代は氷河期の末期で、海面は今より100メートルも低かったため、大阪湾は干上がっていました。もともと、日本列島は大陸と陸続きでした。ですから、大陸に生息するナウマンゾウの足跡が大阪市住吉区山之内(やまのうち)の10万年前の地層などから見つかっています。
 市内では大和川今池(天美西)や清堂(岡)などの遺跡で旧石器が出土していますが、最初の「松原人」も2万年前まで生き残っていたナウマンゾウを追いかけていたのでしょうか。 ところが、今から6から5000年前の縄文時代前半になると、地球の温暖化が進みました。このため、海面の上昇がピークに達し、生駒山麓まで河内湾とよばれる内湾ができました。高槻から八尾付近まで海となったのです。
  旧石器時代から縄文時代にかけての気候の変動は植物にも影響を与えました。大阪では2万年前ごろ、ナラやシラカバなどの落葉広葉樹林にモミやマツなどの針葉樹が混在していました。これが縄文時代にイチイガシなどの照葉樹林へと移っていったのです。
 松原の地名のいわれとなったマツ(五葉松で、現在みられるアカマツやクロマツではありませんが)は、すでに旧石器時代に松原の原野にも自生していたと思われます。
 ところで、縄文時代の大阪には著名な集落遺跡はありません。東北・北陸・信州など東日本が中心地でした。縄文時代の大阪の人口は少ない時期で20人、多い時でも500人を越えることはなかったと推定されています。
 現在、4000年前の縄文中期と思われる河内長野市高向(たこう)の宮山遺跡の住居跡が大阪で発見された最も古い縄文時代の集落です。 松原では今のところ、縄文時代の住居跡は見つかっていません。それでも、この時代の遺物として大和川今池や清堂遺跡で弓矢に用いる石鏃(せきぞく)が出土しています。また、同じ大和川今池や高見の里遺跡からは皮剥(は)ぎや物を削る石匙(せきひ)が見つかっています。変わった物では新堂遺跡から石棒が出ています。
 縄文土器としては、煮たきや貯蔵に用いた鉢や深鉢などの破片が新堂・高見の里・上田町・立部(たつべ)・一津屋(ひとつや)・東新町などの各遺跡で出土しています。縄文晩期の物が中心です。
 さらに、南新町遺跡では縄文時代の土壙(どこう)が確認されています。同時期の石鏃サヌカイト石核・剥片も出土しており、住居が存在した可能性があります。松原で縄文集落が見つかる日は、そう遠くないかもしれません。
 そこで、こうした松原の自然や歴史を一層理解するためには、東住吉区長居(ながい)公園にある大阪市立長居植物園と自然史博物館を見学されることをおすすめします。地質時代や旧石器時代の大阪の森が再現されていたり、「大阪平野のおいたち」などが紹介されています。

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