2 二つの若林と遺跡

八尾南遺跡の記念碑の画像

八尾南遺跡の記念碑(地下鉄谷町地線八尾南駅前)

旧石器代人の、ハンティングゾーン

 地下鉄谷町線の八尾南駅は、1980年11月に開業し、今では1日の乗降客は約1万5500人(1996年10月調査)を数えます。

 今回は、この八尾南駅開業に際し見つかった遺跡を取りあげます。八尾南駅は八尾市若林町1丁目に所在します。でも、ほとんどの方は「なぜ、松原の歴史に八尾なの?」とお思いになるでしょう。しかし、「松原にも大和川の南に若林町がある」と気づかれたら、少しは納得していただけるのではないでしょうか。

 松原市は1955年2月1日、中河内郡松原(まつばら)町・天美(あまみ)町・三宅(みやけ)村・布忍(ぬのせ)村・恵我(えが)村が合併し、誕生しました。このうち、恵我村若林は大和川によって南と北に分断されていましたが、松原市若林町として再出発しました。ところが、現八尾南駅のある北若林地区は松原市域でありながら、大和川の北にあたるため、何かと不便なことが多かったのです。このため、1964年4月1日に松原市から八尾市に編入されました。

 つまり、八尾南駅から南部は歴史的には松原市域だったのです。北若林の人々のお墓や檀家寺・氏神社は松原市若林にあります。さて、谷町線が天王寺から八尾南へ延伸されるのに伴い、北若林は急速に開発化されました。編入当時は42世帯、人口207人の純農村でしたが、今ではビルが林立しています。

 開発と平行して、各次にわたる発掘調査が行われた結果、これまで遺跡が未確認であった当地がきわめて学術的に価値の高い遺跡地であることが判明したのです。
 1万数千年前の旧石器時代のナイフ型石器などが数千点も出土しました。これらの中には、西接する長原(ながはら)遺跡(大阪市平野区)出土の旧石器と同じ層序のものがあったり、サヌカイトから石器を作りだす技術方法を教えてくれるものがあるなど貴重な資料が含まれています。

 旧石器人は、若林や長原一帯をハンティングゾーンの一拠点としていたのでしょう。

 また、旧石器時代に続く縄文・弥生・古墳時代などの遺構や遺物もたくさん発掘されました。とくに、古墳時代中期の集落跡は、木製鞍の出土や馬屋的な遺構などから馬の飼養を行っていた人々の居住地かとも推測されています。彼ら各世代の墓も方墳14基見つかりました。

 遺跡地は八尾南遺跡とよばれ、八尾南駅から大和川に接したあたりまで広がっています。大和川は江戸時代に流路を現在のように変えましたので、同遺跡は大和川を越えて南の松原市若林へも続いていた可能性があります。
 遺跡名は、行政区域にこだわらず、例えば若林遺跡といった方がすっきりするでしょう。

 大和川の土堤に立ってください。足元には、旧石器時代以後の遺構や遺物が眠っているかもしれません。近くの瓜破(うりわり)遺跡(大阪市平野区)や船橋(ふなはし)遺跡(藤井寺市・柏原市)も大和川の川底から遺構や遺物が見つかっています。
 もと「松原人」の八尾南出土遺物は、高安(たかやす)山麓の八尾市歴史民俗資料館に展示されています。  

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