19 酒屋神社と神への造酒

屯倉神社境内に合祀された酒屋神社の画像

屯倉神社境内に合祀された酒屋神社
左側手前の常夜燈は元禄4年(1691年)4月8日の銘をもつ

中臣酒屋連氏が氏神として祭祀

 平安時代の延長5年(927)に『延喜式』が完成しました。これは、8世紀から10世紀初頭にかけての律令法の施行細則を集大成した法典です。

 この『延喜式』のなかには、神祗官式の項目があります。その神祗官式には、10世紀初頭当時の官社の国郡別一覧表ともいうべきものが載せられています。

 官社は、祈年祭にあたって国家から幣帛をうける由緒深い神社であり、延喜式内社とよばれています。全国に2861社が記されており、河内国は113社を数えました。

 この時期、松原は河内国丹比郡に含まれていました。丹比郡には11社の延喜式内社があり、市域関係では、三宅の酒屋神社・田井城の田坐神社と天美地区の氏神である阿麻美許曽神社の3社がみられます。今回は酒屋神社を紹介します。

 酒屋神社は、西方寺(三宅中5丁目)の北側に鎮座していましたが、明治40年(1907)4月に屯倉神社(三宅中4丁目)に合祀されました。旧社地は、いまでは三西町会児童公園(三宅中6丁目)になっていますが、その地には前方後円墳の権現山古墳が築造されていました。権現山古墳は全壊していますが、その名の由来は、酒屋神社が酒屋権現ともよばれていたことによります。

 社地の西側に酒蓋池があり、その池の東北に「酒屋井」という井戸があって、そこから神が出現したと伝えています。この酒蓋池は昭和39年(1964)に埋め立てられました。

 酒屋神社の「酒屋」名は、酒造に関係したものと思われます。同社は、津速魂命を祀っています。『新撰姓氏録』の河内国神別に「中臣酒屋連 津速魂命 19世孫真人連公之後也」とあります。
 『新撰姓氏録』が編集された弘仁6年(815)以前、三宅に有力氏族の中臣氏の一族である中臣酒屋連が住み、津速魂命の19世孫の「真人連公」を祖先としていたのでした。氏族名から分かるように、同氏は酒造を担当しており、祖先神を酒屋神社として祀ったのでした。

 三宅の地は、かつての依網屯倉の故地にあたります。『延喜式』玄蕃寮式に、朝鮮半島の新羅国からの使節をもてなす際に「神酒」を三宅の近くの摂津の住道神社(現在の大阪市東住吉区住道矢田2丁目の中臣須牟地神社)で醸酒していることが記されています。

 このことから、中臣酒屋連は依網屯倉で収穫された米で酒造をしていたと考えられます。もともと、中臣氏は神事に関わる職掌を世襲していましたので、酒は神に捧げるものとして造られたのでしょう。ほかにも、中臣氏の一族に中臣酒人宿禰氏が河内近辺におり、酒造にあたっていたことは同様の例です。

 『日本三代実録』(901年成立の勅撰の歴史書)によると、酒屋神社は清和天皇の貞観7年(865)12月に従五位下を授かっています。

このページに関するお問い合わせ先

松原市 市長公室 秘書課
〒580-8501
大阪府松原市阿保1丁目1番1号
電話:072-334-1550(代表)