16 幻の大堀廃寺

軒丸瓦の画像
センの画像

大堀遺跡から出土した奈良時代後期の軒丸瓦(左)とセン(大阪府文化財調査研究センター提供)

奈良時代の有力氏族が建てた仏殿か

 松原には、いつごろから寺が建てられたのでしょうか。仏教は6世紀半ば、朝鮮半島の百済を経て日本に伝わりました。飛鳥時代の7世紀から、奈良時代の8世紀にかけて、大和や河内に多くの寺院が建立されました。

 市内では、飛鳥時代から奈良時代の遺構や遺物が各地で検出されていますが、この時期の寺院遺構はまだ見つかっていません。また、7~8世紀までに文献の上からも、本市に寺院が建立されたという記録はありません。

 しかし、松原にも幻の古寺ともいえる奈良時代初期に創建された寺院が存在していた可能性があるのです。それが大堀廃寺です。場所は東除川が大和川に合流する手前、大堀2丁目の恵我幼稚園の東南側にあたります。

 1982年(昭和57年)、大阪府文化財センターは大堀地区を通る近畿自動車道の建設工事に先立ち、発掘調査を行いました。

 その結果、1万数千年前の旧石器時代の石核・剥片や、古墳時代後期(6世紀後半から末)の竪穴住居や溝が見つかりました。さらに、奈良時代前半から平安時代初め(8世紀から9世紀初頭)の掘立柱建物、柵、井戸が検出され、集落があったことがわかりました。

 これらの掘立柱建物の跡などから、いろいろな遺物が出土しました。とくに、セン、カ帯金具、壺や椀の灰釉陶器、墨書土器、土馬、製塩土器は特筆されます。
 そして、こうした遺物と一緒に軒瓦・平瓦・丸瓦が見つかったのです。奈良時代の一般集落では瓦を葺くことはなく、瓦が出土したということは、その地に寺院があったことを推測させるのです。

 軒丸瓦は1点だけでした。完形品ではありませんが、復元径は21センチメートルを測り、単弁18葉とみられる奈良時代後期のものです。平瓦は何点か見られますが、奈良時代前期の白鳳期のもの、奈良時代後期のもの、両期の中間的な時期のものに3分類できます(大阪府文化財センター『大堀城跡』、1984年)。

 このことから、奈良時代集落の北に大堀廃寺とでも呼ぶべき寺院が、奈良時代前期の白鳳期に創建され、奈良時代を通じて存在していたと想定されます。しかし、礎石などの寺院遺構は検出されていませんので、仏殿的な小堂のような性格であったかもしれません。

 それでは、創建者は分かるのでしょうか。特定はできませんが、出土したカ帯は、官人(役人)が使用するベルト金具と考えられること。また、当時、一般的に流通の認められない灰釉陶器が出土していることから、大堀には律令国家の役所に仕えた有力氏族が居住し、彼らの村落内寺院であるとも推測されます。

 大堀の集落跡は、平安時代初めに廃絶しました。ここを生活圏としていた人々が他所へ移住したのです。ですから、彼らが維持していたと思われる大堀の寺も廃寺となりました。

 大堀遺跡から北1キロメートルの長原遺跡(大阪市平野区)でも、大堀廃寺の軒丸瓦と酷似した単弁蓮華文の瓦が出土しています。また、同じく石製カ帯も見つかっています。今後、両遺跡を同一視野で検討する必要があるでしょう。

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