14 河合遺跡の発掘

14.河合遺跡の発掘

河合古池公園の写真
出土したおもりの画像

おもりが出土した古池(河合3丁目)。
河合古池公園(左)と出土したおもり(右上)
(松原市郷土資料館展示)

日本最古級のさおばかりのおもり

 河合は、市域西南端の中位段丘上に位置しています。狭山池から流れ出た西除(にしよけ)川の中流左岸にあたり、古池、尻池、新池など大小のため池が見られます。

 河合墓地付近からは弥生時代の石鏃(せきぞく)・石錘(せきすい)・石匙(いしさじ)が多数採集されています。また、古池や尻池の近辺で飛鳥時代から奈良時代にかけての大溝や奈良時代の掘立柱建物跡が検出されています。さらに、中世・ 近世の遺構や遺物も見られ、河合遺跡として有名です。

 とくに、松原市教育委員会が1989年(平成元年)、古池の北東側を公園にする工事に際し、発掘調査で検出した飛鳥時代後期(7世紀後半から8世紀初頭)のさおばかりのおもりは、わが国最古級のものです。

 おもりは、古池の池底や堤下から検出された奈良時代の100個におよぶ掘立柱建物群の柱穴の1つから出土しました。銅製で、高さ2.3センチメートル、最大径2.8センチメートルのおわん型で、重さは60.5グラム。頂部には高さ0.7センチメートルのつまみがあり、ひもを通す穴が開いていました。

 おもりの形態は、中国春秋戦国時代(紀元前8世紀)以降のてんびんの分銅の系譜を引き、大陸文化の影響が見られます。
 これまで古代のおもりが出土した遺跡は少なく、それも奈良市の平城京跡や島根県松江市の出雲国庁跡、あるいは郡衙(ぐんが)跡の静岡県袋井(ふくろい)市の坂尻遺跡のような、いまでいう首都や県庁、市役所というべき官公庁所在地にあたります。また、滋賀県余呉(よご)町の桜内遺跡のような交通の要地でも出土しています。

 古池で見つかった多数の柱穴から、奈良時代の建物の1棟を復元すると、梁間2間(4メートル)×桁行3間(5メートル)以上、柱の掘形は約1メートル、柱痕は直径約20センチメートルを測りますので、大規模な建物群が並んでいたことがわかります。一般の集落ではなく、官衙(かんが)的な公的施設の可能性があります。

 河合をはさんで北と南には、7世紀以降の官道である大津道(のちの長尾街道)と丹比道(のちの竹内街道)がいずれも東西に走っていました。また、西には難波宮から南へ伸びて大津道や丹比道と結ばれた難波大道も通っていました。さらに、遺跡内には舟運に利用されたと思われる7世紀後半から8世紀中ごろに開削された人工運河の大溝も流れています。

 交通上の要地は、しばしば政治上の要地になることから、古池で見つかったおもりは、当時の役所で役人が税として集めた品の重さを量るために使ったとも考えられるでしょう。

 奈良時代、河合は本市のメインゾーンの1つと想定されます。古池と尻池の間を走る府道大阪狭山線は、中世以降の下高野街道を踏襲する古道です。古池の発掘調査で、ため池の築造時期も鎌倉時代中ごろから後半であることも分かりました。

 ひとつの小さなおもりの発見から、河合の歴史的景観が浮かび上がってきたのです。おもりは、上田7丁目の松原市郷土資料館に展示されていますので、いつでも見学できます。  

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