13 不整形・整形なため池

樋野ケ池と中島の写真

樋野ケ池と中島(上田6丁目)。
中島の北東部に須恵器窯があり、多数の須恵器片が検出された。

市の人口景観を特色づける用水池群

 松原市域は平坦な地形ですが、その地形面は中位や低位段丘、あるいは沖積段丘、段丘上を開析した浅い谷、谷底平野、氾濫原、旧河道や自然堤防などに識別できます。

 とくに、当市やその周辺一帯で特色ある景観は、これらの地形とのかかわりにおいて、人工景観としてのため池が数多く分布することです。いまでこそ、かなりの数のため池が埋め立てられましたが、ゴルフ練習場に利用されているものもあります。

 歩いているとよく分かりませんが、地図で見ると、その平面形が大きく2つのタイプに分かれることに気がつきます。1つは、不整形な池と、もう1つは正方形や長方形の比較的整形な池です。

 不整形な池は、整形な池より大きなものが多いようです。なかでも市域南東端の立部4丁目の阿湯戸池(あゆといけ)から北西へ中央環状線に沿って上ノ池(かみのいけ)(現、大塚青少年運動広場)を経て、西大塚2丁目の今池や小治ケ池(おじがいけ)をながめ、上田6丁目の樋野ケ池(ひのがいけ)から近鉄電車の北を越えて、上田2丁目の寺池、松ケ丘1丁目の稚児ケ池(ちごがいけ)(1996年埋め立て)、阿保4丁目の海泉池(かいずみいけ)へとみごとに一列に並んでいます。

 これらは、中位段丘面が開析されてできた浅い谷を次々にせき止めることによってつくられた谷池と考えられます。

 不整形な池が列をなすのに対し、整形な池は市内各地にアトランダムに分布しています。とくに、今池、新池、増池、大池、上ノ池、中ノ池、下ノ池や三ツ池といった名を持つ池が多いようです。これは、今や新という築造の新しさやそれに付随して、大、中、上、下や三という空間的・時間的な位置関係を示唆しています。
 このような不整形や整形のため池は、いつごろからつくられたのでしょうか。水田化に伴う灌漑用水需要に対応して普及しますが、その初現的なものは次のように考えられます。

 まず、巨大前方後円墳の河内大塚山古墳(西大塚1丁目)がつくられた6世紀後半ごろから、周濠築造の土木技術に呼応するかのように、すぐ西を走る浅い谷地形の下流部分だけに堤を築いた不整形な谷池がつくられたと推測されます。

 樋野ケ池には中島が見られますが、その中島には、6世紀前半の須恵器窯が1基検出されています。樋野ケ池はその窯が使われなくなってからできたと想定されますので、不整形な池の築造時期にヒントが与えられます。中島は段丘の名残でしょう。

 これに対し、四角形の整形な池の初現は、奈良時代の条里という方格状の土地区画を示す地割施工区域内にありますので、不整形な池の築造後、つくられたと思われます。

 整形な池は、田圃の面とそれほど高低差がなく、4辺すべてに堤を築きますので、水深の浅い皿池となっている場合が普通です。 市内周辺では、古代開発以後も、いっそうの耕地化に伴い、後世の改変や新造の池も増え、いま見るようなため池の景観が形づくられていったのでした。  

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