12 丹比大溝の開削

発掘された丹比大溝の説明

発掘された丹比大溝の説明
板上田3丁目の「ゆめニティまつばら」立体駐車場南側

水田開発を盛んにした巨大人口運河

 近鉄河内松原駅前に、「ゆめニティまつばら」があります。ここは、松原小学校の跡地です。同施設は、河内松原駅前南地区再開発事業のメインとしてつくられたものです。オープンは、1993年(平成5年)7月でした。

 立体駐車場建設および都市計画道路敷設工事の前に、同地が旧石器時代から近世までの複合遺跡である上田町遺跡に含まれていましたので、発掘調査が行われました。

 松原市教育委員会が主体となって、1991年(平成3年)10月から翌年1月まで、上田3丁目の約700平方メートルを調査しました。その結果、7世紀後半ごろに巨大な人工運河が掘られていたことが判明したのです。この遺構は、地名をとって丹比大溝(たじひおおみぞ)と名付けられました。

 標高23.5メートルの調査地は耕作地でしたが、耕土直下から、北東から湾曲しながら西方へ向かう幅約10メートル、深さ約3メートルの断面「V」字状を呈する溝が延長100メートルにわたって検出されました(大溝1)。

 溝内には、径5センチメートルから15センチメートル、現存長約50センチメートルの杭30センチメートルから40センチメートル間隔で、溝の北側に沿うように約20メートル一列に打ち込まれていました。これは、北側法面の崩壊を防ぐために設けられたものと想定されます。

 大溝1は、現在の「ゆめニティまつばら」立体駐車場あたりで、南西に流れる大溝2と分かれます。この合流点には、径5センチメートル、現存長15センチメートルから20センチメートルの杭が3列以上にわたって打ち込まれていました。これは、分流する大溝2の水流の調整を図るためでしょう。分流した大溝2は延長20メートルを検出しましたが、やはり幅約10メートル、深さ約3メートルを測りました。

 溝内より出土した遺物は、円筒埴輪、土師器、須恵器、木製品などでした。これらの出土遺物より、大溝は7世紀後半ごろにはすでに掘られており、8世紀代には一度溝ざらえが行われ、新たに杭が打ち込まれたことがわかりました。

 中世の素掘り井戸が2基見つかっており、中世後半以降は人為的に埋め立てられていったようです。しかし、近世から現在に至るまで、その水路は流路を変えながらも千数百年にわたって用水路として利用され続けています。

 大溝1は復元すると、松原・羽曳野市境の東除(ひがしよけ)川から取水し、途中、古代の官道である大津道と2度ほど交差し、上田2丁目の寺池を通り、段丘面を西に横断して堺市境の西除(にしよけ)川へ至る約4キロメートルにも達する長大なものでした。

 また、大溝2は現在の松原小学校のある新堂2丁目の下ノ池あたりに通じていました。

 7世紀後半にこのような大規模で広範囲な人工運河がつくられたことにより、本来、自然灌漑の困難な段丘面に水源が確保され、水田開発が容易となったのでした。同時に規模の壮大さを考えると、灌漑用水路だけではなく、当初は舟運にも利用されていたのではないかと推測されています。

 松原が穀倉地帯へと発展していく歴史的背景を考える時、飛鳥時代に掘られた丹比大溝は重要な遺構といえるでしょう。  

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