121 布忍の西除川を詠む

河内鑑名所記に載る布忍川挿図と狂歌・俳句の図

『河内鑑名所記』に載る「布忍川」の挿図と狂歌・俳句(柏原市・三田昌孝氏蔵)
絵の右端(東)に布忍川が流れ、川に沿って北に高木村の観音(東之坊)、南に向(井)村の観音(永興寺)の境内を描いている。

江戸時代、名勝地として名をはせた布忍川の流れ

 江戸時代、市域の西部を流れる西除川(「歴史ウォーク」85)は布忍神社(北新町2丁目)あたりでは布忍川ともよばれていました。河内のガイドブックである延宝7年(1679)刊の『河内鑑名所記』は、その布忍川を狂歌や俳句の題材として好んで載せています。
 布忍川は、当時の松原における名勝地でした。平安時代の創建といわれ、本尊十一面観音の信仰を集めた向井村(現北新町)の永興寺(「歴史ウォーク」26・27)や、同じく十一面観音で有名な高木村(現北新町)の東之坊(布忍寺)が川の流れに沿って、境内地を隣りあわせていたことから、人々は布忍に足を運んだでしょう。
 『河内鑑名所記』の編者である三田浄久は柏原の豪商でしたが、京都の松永貞徳に師事し、北村季吟や井原西鶴など著名な文人とも交遊して、狂歌や俳句に秀でていました。
 同書は、巻4の中で布忍(「布瀬といひならハす」と注記しています)の項を設け、布忍川を次のように詠いました。
地元布忍の寺内栄貞が「観音のおまへにかゝるかねの緒ハ所からとて布忍なりけり」と狂歌を詠んだ後、同じ布忍の薮貞弘が「布忍川そこをひくなとゆふたちのたちまち風のさき手成けり」と続きました。そして、大和の宇陀(奈良県)から来た岡崎秀綱が「夕たちに大水出れは布忍川はゝは何丈何尺かある」と添えました。これをうけて、三田浄久が「夕たちに大水出れハ布忍川浪はしハにてはゞもしられす」と返したのです。
 続いて、これらの狂歌のあと、次の7句もの俳句が並べられています。
「糸による物や布忍の川柳」(向井村の安求)
「卯の花の波にさらすか布せ川」(現羽曳野市島泉の光栄)
「波やしハよするちゝミの布瀬川」(現河南町中村の森政公)
「布瀬川鮎のさしみや糸造」(田井城村の平本重成)
「涼しさやきても見よかし布瀬川」(現羽曳野市島泉の清重)
「川つらをさらす布忍の氷かな」(現八尾市萱振の好貞)
「氷日や水張をする布忍川」(宇陀出身の谷則武。当時は南都「現奈良市」に住む)
 こうした歌から、夕立による大水で水量が激しくなったさまを想像させます。一方、句からは川柳や卯の花が川面に映えるのどかさとともに、涼しげで清らかな水の流れや氷の張った凛とした寒気のきびしさの情景もよみとれます。
 のち、享和元年(1801)に刊行された『河内名所図会』でも布忍川の項目をたてて、先の秀綱と浄久の狂歌を引用しています。
 布忍では、宝永2年(1705)に名所・旧跡や風景を選んだ「布忍八景」絵馬が布忍神社に奉納されていますが(「歴史ウォーク」71)、布忍川の景観は、多くの人々の目を楽しませたのでした。

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