162 発掘された池内遺跡の展示

池内遺跡の展示の写真

池内遺跡の展示(大阪府立近狭山池博物館)
執筆にあたっては、当館学芸員の小山田宏一氏のご教示のもと、展示図録『古代西除川沿いの集落景観』(平成22年)を参考にした。また、発掘担当者の平田洋司氏にも教示を得た。

近畿最古級の弥生水田と荘園管理の有力者の屋敷

 先月号の高木遺跡で触れましたが、現在、大阪府立狭山池博物館(大阪狭山市)で「古代西除川沿いの集落景観」が開催中です。12月5日まで残りわずかですが、市域の池内・大和川今池・高木・堀・河合・難波大道の各遺跡の最新成果が紹介されています。
 いずれも見ごたえがありますが、池内遺跡で見つかった近畿地方でも最古級の水田は特筆されます。紀元前5から4世紀の弥生時代前期の耕作地です。会場では、水田の写真パネルと当時の人々が使用した弥生土器の壺が3点、展示されています。
 今から2500年ほど前の水田は、四角に区画され、一筆の面積が狭い弥生時代特有の小区画水田とよばれるものです。松原市役所の敷地からも、これより数百年あとですが、同じような小区画の弥生水田跡が見つかっています(「歴史ウォーク」6)。
 池内遺跡は、阪神高速道路大和川線の建設工事による大阪府文化財センターの発掘調査でわかりました。場所は、天美北1丁目の阪南大学のすぐ北側です。江戸時代の丹北郡池内村と城連寺村の境にあたります。平成18年1月と19年1月の2回、現地説明会も行われ、多くの市民が見学しました。
 弥生水田の地は、その後、奈良時代まで遺構や遺物が少なくなります。ところが、平安時代中頃になって、ここに畦状の高まりで区画され、東西に分かれた多くの建物群がつくられていたことがわかりました。
 西建物群には、9世紀後半から10世紀後半、溝で囲まれた29棟と溝外の3棟、計32棟もの掘立柱建物が建っていました。塀や柵で分けられ、庇付きの大型建物を中心に、これに付属する建物(炊事場・倉庫などか)があり、また、井戸やごみ捨て穴も見つかっています。一般の農民が持てないような緑釉陶器や硯のほか、帯の締金具や飾りなども出土しており、役人(官人)が住んでいたかもしれません。
 一方、東建物群からは20棟の掘立柱建物が出ましたが、ほとんどの建物は10から30平方メートルと小さいものでした。ただ、農作業に係わる管理棟か、あるいは工房・畜舎とも考えられる69平方メートルを測る建物も存在していました。また、耕作の跡と思われる南北方向の溝がいくつか見つかっています。おそらく、屋敷地の周囲には水田や畠が広がっていたのでしょう。時代的には、9世紀後半から11世紀前半まで続いています。
 池内遺跡のあたりでは、古代の土地区画である条里制が見られます。当地は平安時代、丹北郡条里北条に含まれ、そこは京都の石清水八幡宮の護国寺宮寺領の荘園(土地)と考えられています。
 このことから、この東西の建物群は、荘園を管理する在地有力者の屋敷と荘園管理施設ではないかと想定されるのです。
 狭山池博物館では、屋敷地などから出土した遺物が数多く紹介されています。池内や城連寺の人々が早くから耕作にいそしんでいた様子を展示から、くみとっていただければと思います。

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