164 堀の貞正寺を支えた人々

貞正寺の外観
句碑の写真

貞正寺と境内に建つ句仏作・筆の句碑(天美南4丁目)

 

句仏の親鸞聖人を讃える句碑を建立―真宗大谷派

 宝暦9年(1759)、現在の天美南の丹北郡堀村は、これまでの幕府領から丹南(本市丹南)に陣屋をおく丹南藩高木氏の領地となりました。このため、同年5月、庄屋五郎左衛門らは藩に今の市勢要覧ともいえる「堀村差出明細帳」を提出しました。
 「明細帳」には、道場として浄土真宗の貞正寺と大念仏(融通念仏宗)の浄念寺(「歴史ウォーク」163)の2カ寺があり、それぞれ僧侶が一人ずついると記されています。また無住ですが、浄求庵と浄信庵も建っていました。
 このうち、貞正寺は東本願寺を本山とする真宗大谷派で、寺伝によると寛文2年(1662)、宝憧によって開基されています(ただし、『大阪府全志』 大正11年では、寛文9年に法道が開いたとする別伝を記載)。本堂に祀られる本尊の阿弥陀如来立像の背面に「河州丹北郡堀村惣道場 貞正寺」と銘記されています。惣道場として、寺観が整っていった江戸時代前半に東本願寺から下されたのでしょう。
 現本堂は平成9年に新築されたのですが、旧本堂を解体したおり、棟札が発見されました。棟札によると、幕末の天保11年(1840)2月に旧本堂が建てられ、普請奉行として、堀村の檀家である芝野覚助と芝野新左衛門があたりました。その時の棟梁大工には、松原村の澤田伊兵衛と清水村(本市南新町)の小橋儀兵衛の名がみられます。
 普請奉行の一人、芝野新左衛門は、本堂に吊られている喚鐘(半鐘)にもその名前が記されています。池の間と称する区画に「河内国丹北郡堀邑貞正寺什物 干時文政二年巳 卯三月吉日施主芝野新左衛門」と刻んでいます。本堂再建の21年前の文政2年(1819)に、新左衛門が法会などで用いる鐘を寄進したのでした。
 芝野家は貞正寺の北側に位置し、堀村の庄屋をつとめていました。堀村の名は、芝野家の北端に掘られていた溝から付けられたと伝承されています。その溝はすでに埋められ、今では児童公園になっています。天美南4丁目や5丁目のあたりは、字地でも堀とよばれていました。
 貞正寺山門を入った右側に句碑が建っています。「大徳山貞正寺伽藍再建記念碑 平成九年九月吉日」とある石碑に「勿体なや祖師ハ紙衣の九十年 句仏」と刻まれています。
 この俳句は、東本願寺23世の大谷光演(彰如上人、明治8から昭和18年)がつくったものです。彰如は俳人としても名高く、句仏と号しました。句仏とは、「句をもって、仏事をなす」の意です。
 祖師の宗祖親鸞聖人が防寒着として着ていた紙衣という粗末な衣服をもって90年の生涯を全うしたことを讃えるとともに、豊かな時代に暮らしている自らを戒めています。前住職が句仏に心酔して建立したものです。
 本年は、浄土真宗にとって、親鸞聖人の750回忌を迎える年にあたります。東・西本願寺など真宗教団連合では今年から来年にかけて、さまざまな法要や催事を開催します。改めて、句仏の句を通して、ご縁をいただいた気持ちです。

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