165 三宅西遺跡の新発見

三宅西遺跡(縄文土器)の写真
三宅西遺跡(須恵器・土師器・韓式系土器)の写真

展示された三宅西遺跡の土器(大阪府立近つ飛鳥博物館)
写真左は縄文土器。表面は渦巻文や渦巻を反転させたS字文も見られる。写真右は5世紀中葉を中心とした須恵器・土師器・韓式系土器。

松原最古級の縄文土器群 弥生や古墳時代の集落跡

 私たちが暮らす松原。古くからの遺跡や遺物が数多く眠っていることは、これまでの発掘調査で分かっています。特に、最近の市域北部で行われている阪神高速大和川線や府道大堀-堺港線の建設・延伸工事に伴い、注目すべき新発見が次々と明らかになってきました。
 「歴史ウォーク」でも大和川今池遺跡(159・160)、高木遺跡(161)、池内遺跡(162)、堀遺跡(163)を紹介しましたが、今回は三宅西遺跡をとりあげます。国道309号線の三宅ランプ北交差点の西側、三宅西7丁目の北には大阪市環境局平野工場が建つ阪神高速大和川線のルートから縄文時代、弥生時代、古墳時代の遺構や遺物がまとまって見つかりました。
 3月13日まで府内の最新発掘調査を紹介する「歴史発掘おおさか」が河南町の大阪府立近つ飛博物館で開かれています。17市町42遺跡で出土した縄文時代から江戸時代幕末まで多くの遺物が展示されており、三宅西遺跡の出土品も目に触れることができます。展示解説図録に導かれて、それらを見ていくことにしましょう。
 今から約3800年前の縄文時代後期中頃、三宅には幅7から9メートル、深さ2.3メートルの川が蛇行しながら南から北に向かって流れていました。市域の標高は南が高く、北へ行くほど低くなっていきます。
 川は、のち砂で埋まりましたが、その底から多量の鉢などの縄文土器や打製石器が発見されました。割れた縄文土器の破片は775点にも及び、同時にまとめて川に棄てられたことが報告されています。
 出土した縄文時代後期中頃の縄文土器は、本市では最古級のものであり、近くで縄文人が暮らしていたと思われます。近畿地方でよく使われる土器だけでなく、関東から北陸地方で見かけられる文様もあり、各地との交流もうかがえます。これらのいろいろな器形は、近畿地方の縄文土器の基準となる貴重な資料といえるでしょう。
 その後、今から2千数百年ほど前の弥生時代中期の墓や竪穴住居が30棟以上まとまって確認され、三宅西に弥生集落が形成されていたこともわかりました。村からは、多くの弥生土器とともに石器の材料ともなるサヌカイト製石器も見つかりました。サヌカイトの出土状況から、石器づくりに精を出す弥生人の姿も想像できそうです。
 古墳時代になると、自然流路内で河川改修工事のためと思われる木杭を組み合わせた水利施設が検出されました。ここからは、5世紀中葉を中心とした須恵器や土師器が多数見つかり、中でも朝鮮半島から持ち込まれた百の土器や韓式系土器も混ざっていました。近くに村が営まれていたらしく、集落には朝鮮半島から渡ってきた人々も住んでいたかもしれません。
 市内の遺跡では、他にも大和川今池・池内・河合遺跡の遺物や写真パネルが展示されています。最終日の3月13日には、河合遺跡の報告を市教育委員会の芝田和也さんが行います。地元の最新発掘成果を身近に感じていただけると思います。

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