166 発掘された河合遺跡

河合遺跡の写真

役所跡と思われる遺構が見つかった河合遺跡(河合5丁目)
現在は、更地になっている。後方(南)左の建物は、丹比大溝が検出された南大阪食肉地方卸売市場。右側(西)は市営団地。北から撮影。

奈良時代の役所跡が出土 丹比大溝の運河に関連か

 河合5丁目に市営更池第二団地が建っていますが、その東側に数年前まで市立第5保育所がありました。保育所が休園ののち廃止されたので、その跡地に市立学校給食センターが建設されることになりました。
 この地域は、弥生時代から江戸時代にかけての河合遺跡と呼ばれる埋蔵文化財の分布地でしたから、工事に先立ち、市教育委員会によって発掘調査が行われました。その結果、たいへん重要な遺構が検出されたのです。
 調査は、一昨年5月から昨年3月まで行われ、各新聞も、2010年3月10日付で大きく報道しました。その成果を、発掘担当者のご教示を参考に紹介します。
 調査地からは、奈良時代の大型掘立柱建物を含め、11棟以上の建物や井戸・溝などが見つかりました。建物跡は、約70センチの深さに、直径約20センチの柱を立てたと見られる穴が規則的に並んでいました。最も大きな建物群のうち、4棟ほどは東西2.1メートル、南北50.8メートルの細長い形状を示しており、その配置は「コ」の字状に北・東・南に並んでいました。未発掘ですが、西側にも建物が存在していたと推測され、約60メートル四方の「ロ」の字形に建物があったと想定できます。
 出土品などから、建物群は8世紀前半から半ばにかけて建っていたと考えられます。それも、ほぼ奈良時代の間に何度も建て替えられて存続していたようです。また、「吉」と書かれた須恵器の坏や屋根を葺いていた軒平瓦や軒丸瓦とともに、円面硯も出土しました。硯は役人が実務のために使ったと思われ、遺構は普通の村の集落跡とは考えられません。
 それでは、これらの建物跡はどのような性格のものだったのでしょうか。可能性として、次のようなことが推測できそうです。
 当時、同地は河内国丹比郡の西端に位置していました。多くの建物群の配置や規模、出土品から、奈良時代の地方の役所だった可能性が高いでしょう。丹比郡の総合庁舎といえる丹比郡衙(役所)だとする意見があります。あるいは、ここが丹比郡八下郷ですので、郷を管轄する役所(郷家)だという見方もできます。
 しかし、役所に変わりはないのですが、郡衙や郷家ではないと考えた方がよいと思われます。調査地から南250メートルの所に南大阪食肉地方卸売市場がありますが、その建設の際、飛鳥時代から奈良時代にかけての大規模な運河である幅約12メートル、深さ約2メートルの丹比大溝が東西に流れていたことがわかりました。大溝から、奈良時代に祭祀を営んだ痕跡も見られました。
 こうしたことから、これらの建物群は丹比大溝の管理や祭祀をつかさどる役所であったとみた方が理解しやすいでしょう。
 全国的にも、奈良時代の地方の役所跡が見つかることはそれほど多くありません。また、近くの古池(河合3丁目)から、奈良時代の役所と考えられる建物群も見つかっていますので、当時、河合は丹比郡の中でも官庁街の一つだったといえます。

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