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布忍神社本殿の年輪年代測定

更新日:2018年12月13日

はじめに

 文化財を調査・研究するなかで、その文化財の年代を知ることはたいへん重要なことです。しかし現実には、その文化財に年代などが記載されていない限りなかなかその年代を知ることはできません。特に土器や石器などの埋蔵文化財・考古資料では、年代文字が記載されているようなことはほとんどないでしょう。また中近世の仏像や建築といった文化財で仮に年代記載があったとしても、確かにその年代と整合するのか確認する必要があります。通常土器など考古資料では、そのものの形状や製作方法といった外見上の特徴から年代を推定したり、出土した土層や遺構から年代を推定したりしますが、いずれも相対的な年代決定で、絶対的な年代決定にはたいへん難しいものがあります。

 そこで絶対的な年代決定を行うための様々な方法が、現在研究され実用化されています。たとえば放射性炭素C14測定法や熱残留磁気測定法などです。それらについてはまたの機会にご紹介するとして、そういった年代測定法の一つに年輪年代測定法があります。これはスギやヒノキにおいて、永年にわたるその年輪育成パターンを知り、木製文化財のもつその素材木材の年輪パターンと照合することで年代を決定しようとするものです。大阪府和泉市の池上曽根遺跡で出土した大型掘立柱建物の柱材の測定で弥生時代の年代を測定し多大な成果をあげるなど、現在日本各地の建築物や仏像など木製文化財の年代測定で威力を発揮しています。

 本市では、この度、北新町2丁目所在の大阪府指定有形文化財建築物・布忍神社本殿の年輪年代測定を、布忍神社宮司・寺内成人氏、ならびに独立行政法人奈良文化財研究所埋蔵文化財センター古環境研究室長・光谷拓実氏のご協力により、実施することができました。

布忍神社の正面写真
布忍神社の遠望写真
 
 

サンプルについて

 布忍神社本殿は、昭和53年(1978)に部分修理され、寛文3年(1663)銘の奉納札が発見されています。サンプルはその際に宮司の寺内氏が、将来の研究資料にと、本殿主柱及び庇柱の一部を輪切サンプリングして、大切に保管されていたものです。

 本殿主柱及び庇柱は、いずれも丹塗りで、主柱は、直径約24センチの円柱、庇柱は、四角に幅3センチ程度の面取りが施された、一辺約19センチの角柱です。サンプルは、どちらも切断時の都合で、完全な輪切り状態ではありませんが、厚みは2センチ程度で、切断面には、年輪がはっきりと読み取ることができます。また両柱とも柱の基部であったため、切断面の裏側には、本殿建築当時に柱の成形に使用した手斧のあとが明瞭に見ることができます。

布忍神社本殿の写真
 
 
 
布忍神社本殿主柱材サンプルの写真
布忍神社庇材サンプルの写真
 
 

測定の意義

 布忍神社本殿の建築時期は、寛文3年(1663)銘の奉納札が発見されていることと、その建築様式から、寛文3年(1663)以前の江戸時代初期(西暦1600年代前半)と見られていますが、具体的な年代については明らかではありません。今回の測定で、その建築時期を明らかにし、江戸時代初期(西暦1600年代前半)の建築であることを裏付けることで、より一層、布忍神社の文化財的価値や松原市の歴史性が高められることとなるでしょう。

測定結果

  • 本殿主柱(円柱):ヒノキ材 西暦1372年+α
  • 庇柱(角柱):ヒノキ材 年輪形成が不整のため測定不能

(注意)西暦1372年+αとは、西暦1372年以降(+α)に山野から伐採された木材で、αは、概ね50年~100年の間とされています。

 今回の測定では、見事に期待を裏切られる結果となりました。江戸時代初期(西暦1600年代前半)の数値が得られるものと思っていましたが、それよりも400年近くも古い年代が出てしまいました。逆に布忍神社の歴史が一層古くまで遡る可能性がでてきたわけですが、このことについては、もう少し考えて見る必要があると思われます。直断すれば、西暦1372年ころに布忍神社本殿が建築されたことになるかもしれませんが、やはり建築様式などからみて、安土桃山時代から江戸時代初期(西暦1600年前後)の建築であろうと思われます。よって推測としては、布忍神社本殿建築以前に既に布忍神社の前身とも言うべき建築があり、本殿新築時にその建築物の古材を使用したのではないかということが考えられます。

 布忍神社周辺には、平安時代以降から中世にかけてたいへん栄えた永興寺という寺院があったことが知られています。永興寺に関する古文献のなかには寺域内に鎮守社を祀っていたことが記されているものがあります。大寺院の鎮守社が寺院衰退後も残り、独立発展して現在の布忍神社に至ったのではないでしょうか。

追記

 今回、布忍神社本殿の年輪年代測定を行いましたが、その際に、他の考古資料も一部測定をお願いしました。一つは、新堂遺跡から出土した古墳時代後期のものと思われる橋板材、もう一つは阿保・海泉池の北堤改修工事時に出土した江戸時代のものと思われる池樋材(部分)です。

 新堂遺跡の橋板材は、古墳時代の出土例としてはたいへん珍しく、貴重な資料といえますので、測定の結果が期待されましたが、残念ながら両者とも、年輪幅が広く、年代の測定には至りませんでした。

 しかしながら同時に行った樹種鑑定で、橋板材は高野槙、池樋材はスギであることが判明しました。高野槙は、古墳の木棺材に用いられていることで知られていて、同時代のものとされる橋材が同材であることが判明したことは、一つの成果を得ることができたと考えています。

 今までの発掘調査では、古代から中世にかけての井戸跡から曲物などの木製遺物が多数出土しており保管しています。今後は、それらについても年輪年代測定を行っていけば、さらに新たな発見があるものと期待しています。

新堂遺跡・橋材出土状況の写真
新堂遺跡・橋材サンプルの写真
 
 
阿保・海泉池の写真
阿保・海泉池池樋(部分)の写真
 
 
阿保・海泉池池樋材サンプルの写真
 
 
 

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