第19話 消えた牛石(夜泣き石)

まつばらの民話をたずねてへようこそ

松原で生まれ育った、昔から伝えられている民話をご紹介します。

消えた牛石(夜泣き石)(大塚山丘陵にまつわる話四話その二)

松原の民話第19話(2003年7月)

冬が終わり、大塚山にも春の兆しが見え始める頃は、風も日に日に和らぎ、木々の芽もふくらんで来ます。そんな、冬物をしまうにはまだ少し早い季節の頃になると、大塚山丘陵では、毎年不思議な出来事が起こっておりました。その出来事とは、空がうっとうしく垂れ下がり風がなま暖かく頬をなでると「グオーン、グオーン」と、まるで神から見はなされた者が地面を這いずって泣くような、不気味な音で大塚山の巨大な牛石が泣き始めるのだそうです。

ところがどうしたことか不思議なことに、この地面を這いずり回るようにうめき泣く声は、当地である大塚の人々にはまったく聞こえず、近郊の村々から広がって遠くの村々まで響くのだそうです。大塚の人々はこの不気味な泣き声を出す牛石を、誰が呼ぶともなく夜泣き石と呼び、この恐ろしい泣き声が響いた話を聞くたびに、なにか空恐ろしいことが起きるのでないかと怖れおののくようになったそうです。そしてこの不安は年を追う毎に噂が噂を呼び、一層大塚に住む人々の心を不安へ不安へと導いていったそうです。そこでとうとう噂だけでは収まらなくなり、村人達が集まって「大塚山の巨石には、きっとなにかの祟りが付いているに違いない。このまま大塚山に置いておくわけにはいくまい。お祓いをしてどこかしかるべきところをみつけて持参し、そちらでお祀りをしてもらおうではないか」ということになり、まずは村中で各々一軒に一人ずつ出役を出して、大塚山の下にある広場に運ぶことに決まったそうです。

そうこうしているうちに村中総出で巨石を運ぶ日がやってきました。その日は東の空から薄明かりが差し始めた頃からそれぞれの持ち場に分かれて、大木を石の下に挟み入れ、並べられた枕木には滑りを良くするために三日三晩水につけてどろどろになった根昆布を敷き、「どっこいせえーのよいとこせえー」と声を掛け合って進むのですが巨石は思うようには動きません。それでも村中の会わせた力でどうにか星が空を数個輝き始めた頃、やっと広場まで運び出すことができました。村人達は巨石を広場へ運び出したところでもうクタクタに疲れ、星も出たこともあって、今日はここまでとして後のことは明日にしようと、それぞれの家路へと急いで帰って行きました。

ところが、明くる日のことでした。村人達は大塚山の広場へ行ってみると誰もが「あっ」と言うなり、その場に立ちすくみ二、三歩後ずさりして座り込みました。確かに昨日、丘陵より運んで置いたはずの巨石の姿が何処にもなく、枕木で痛めた地面や村人達が通って痛めた草や木までも以前と全く変わりなく巨石が通ったと示すものは何もありませんでした。たしかに昨日、村中総出でやっとこの広場まで持ち運んだ程の巨石が一夜のうちに姿を消すなど、とても考えることのできない現実に村の人々は、はたと困り八方手を尽くして探すことになったそうです。

重さのために地面にのめり込んでしまったのではと言って鍬で土を掘る者もいれば小石を探すように草木の中を縫うように探す者と、それぞれの姿は滑稽としか思われない探しかたでした。誰もが真剣に一生懸命探しましたが、重くて大きなその石を探しようのないまま太陽は頭上まで昇り昼を迎え、村民一同ホトホト思案にくれたそうです。

すると、だれかが「これだけ探しても見つからない石ならあきらめましょう。しかも、もともとは欲しくない石であったのだから、幸いのことではないでしょうか。それでも、皆さんの心が収まらないのでしたら、あった場所まで行って確かめてはどうでしょうか」と提案しました。村人達はわざわざ元の場所まで行くこともないだろうと思いながらも、まあ確かめると気休めになるのではと、ゾロゾロと丘陵へ向かったそうです。

ところがなんとしたことか、あれほど村中で探したにもかかわらず、巨石は元の場所に一寸一分くるいなくどっしりと座っていたそうです。
それ以来この巨石はビクリとも動かず、村人達は一層恐れおののき近寄ることも手を出すこともなかったと伝えられております。

大阪府文化財愛護推進委員 加藤 孜子(あつこ)

(写真)現在の大塚山の空からの様子

このページに関するお問い合わせ先

松原市 市長公室 秘書広報課
〒580-8501
大阪府松原市阿保1丁目1番1号
電話:072-334-1550(代表)