176 我堂八幡宮の湯立神楽

我堂八幡宮の湯立神楽(天美我堂4丁目)の様子

我堂八幡宮の湯立神楽(天美我堂4丁目)
岡の小山賢次郎さん撮影。同社は、江戸時代には十五社明神などとよばれた。祭神は品陀別命(ほんだわけのみこと)で、石清水(いわしみず)八幡宮(京都府八幡市)の分霊を勧請した。               

富永正千代流の浪速神楽 2月3日、節分祭の神事

 わが国の伝統的な神楽(かぐら)の形式のひとつに湯立(ゆたて)神楽があります。釜で湯を煮えたぎらせ、その湯の中に笹や枝葉を浸して、その湯を撒くものです。撒かれた湯や飛沫を浴びることで、無病息災や五穀豊穣などが願われるのです。

 もともと神楽は、宮中で行われる御神楽と民間で行われる里神楽があり、里神楽は江戸時代中頃から行われるようになったといわれています。各地域ごとに特徴のある神楽が見られますが、大阪では浪速神楽が一般的です。その中でもよく知られているのが、富永正千代を家元とする流派です。

 正千代は、明治25年(1892)、今の大阪市西成区天下茶屋の天神森天満宮に生まれました。大正9年(1920)に高宮(たかみや)神社(寝屋川市高宮)の宮司となり、昭和46年(1971)、79歳で亡くなるまで奉仕しました。正千代の母満江は、江戸時代からの神楽方である西村小松に師事していました。

 母の影響を受け、正千代は伝統の舞楽や雅楽を受け継ぎながら、それまで各神社でばらばらで奉納されていた舞振りや笛の旋律を整理しました。また、古代の裁判の一種、盟神探湯の流れをくむ湯立神楽も取り入れ、富永流として完成させたのです。大正9年頃、正千代はその流派を後世に伝えようと、関西雅楽松風会を設立し、初代会長になりました。

 ところで、正千代のおいにあたるのが我堂八幡宮(天美我堂4丁目、「歴史ウォーク」48)宮司の坂野多々志さんです。坂野さんは、昭和34年(1959)に我堂八幡宮の宮司になられたのと同時に、富永流の湯立神楽を始められました。

 正千代の死後、関西雅楽松風会の二代会長となった太平炤(故人)が佐備神社(富田林市佐備)の宮司となった昭和53年(1978)以後、炤・千代子夫妻らを中心に、大阪府神社庁も富永流浪速神楽の普及を図っています。しかし、その先駆けともなって、50年以上前から我堂八幡宮で、正千代と間近に接した坂野さんによって湯立神楽が執り行われていることは、市域の民俗伝承を保存する上でも貴重なものです。

 我堂八幡宮では、毎年2月3日の節分の日、昼2時から(もともとは夜に執行)本殿前、稲荷社前、ご神木の樟を祀る政広大神前の3か所に護摩木をくべた釜がすえられます。巫女さんが煮えたぎる湯の中に笹を入れ、湯を飛ばして神事を行うのです。厄除宮として名高い同社にふさわしく、多くの参拝者が無病息災を願って訪れます。

 昨秋の第2回松原市観光写真コンクールで、この湯立神楽が紹介され、入賞しました。審査にあたった亀村俊二さん(写真家)は、「勢いよく燃える炎と沸きあがる湯気が逆光を受けて白く浮き上がり、神事の女性の迫力が伝わってきます」と評しています。

 2月25日には、我堂八幡宮近くに建つ、江戸時代、西我堂村庄屋であった西川家住宅(「歴史ウォーク」99)の特別公開が行われます(本紙24ページ)。その際、同写真も他の入賞作品と並んで室内に展示されます。

 我堂の年中行事となった湯立神楽の神事を、西川家住宅見学とあわせて楽しまれてはいかがでしょうか。

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