1 「松原人」が使った旧石器

更新日:2018年12月13日
「松原人」が使った旧石器の画像

後期旧石器時代などの出土品

(松原市郷土資料館展示)

旧石器時代人が、原野をかけめぐる

 日本列島に人類が住み始めたのは、宮城県築館(つきだて)町の高森(たかもり)遺跡で出土した石器の年代から、なんと50万年ほど前のことといわれています。皆さんが教科書で習われた北京原人と肩を並べる古さです。
 ところで、大阪にはいつごろから人々が住むようになったのでしょうか。松原のお隣、藤井寺市藤ヶ丘の藤井寺郵便局近くに近鉄バファローズ2軍監督の梨田昌孝(なしだまさたか)さんのお宅があります。
 1985年、梨田さんが新居を建てようとしたところ、2万年ほど前の旧石器時代に住んでいた人々の住居跡や墓と思われる土壙がナイフ型石器などとともに見つかりました。
 これは、現在のところ大阪で人々が住んでいた最も古い遺跡と考えられています。調査を担当した大阪府教育委員会は、この遺跡を「はさみ山遺跡梨田地点」と名づけました。
 大阪にはこれ以外にも、住居跡こそ見つかっていませんが、多数の旧石器時代遺跡が発掘されています。特に藤井寺市や羽曳野市は、府内でも有数の旧石器時代遺跡密集地として有名です。
 松原市では、今のところそれほど多くの旧石器は出土していませんが、それでも松原市教育委員会のご教示によると、次のような遺跡から旧石器が発見されています。

  1. 天美西7丁目の今池処理場建設で知られた大和川今池遺跡、
  2. 岡7丁目の松原市民運動広場建設で見つかった清堂(せいどう)遺跡、
  3. 岡2丁目の府営岡住 宅の建て替えで見つかった岡遺跡のもので、後期旧石器時代のナイフ型石器・刃器(じんき)・掻器(そうき)です。これらの石器は、ものや動植物を切ったり削ったりするのに用い られました。

 また、有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)とよばれる手槍や投槍の尖端につけた先のとがった石器も市役所新庁舎の建設の際に出土しています。ここは上田町遺跡の一角にあたります。縄文草創期のものとされていますが、一部には旧石器時代にまで下るという意見もあります。
 さらに、中央環状線と国道309号線が交差する丹南2丁目の高架工事の際にも、旧石器の剥片(はくへん)が見つかっています。
 2万年ほど前、はさみ山遺跡などで生活していた旧石器時代人が、鹿や兎などの獲物を追って、松原の原野をかけめぐり、旧石器を残したと想像するのも楽しいものです。
 河内松原駅の東南、上田7丁目の柴籬(しばがき)神社北側に「松原市民ふるさとぴあプラザ」があり、その一階に「松原市郷土資料館」が設置されています。
 市内出土の遺物や絵図・古文書などが時代ごとに展示されています。この東側のケースの右端に旧石器・縄文時代のコーナーがあります。そこには、大和川今池・清堂遺跡などから出土した旧石器が並べられています。石ころとの区別がつきますか?
 松原歴史ウォークの最初は、各時代の遺物を郷土資料館で見て(無料です)、知識をもつことから始められるのがよいでしょう。

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