(ほりいせき)
松原市天美南4・5丁目所在
市域西方、近鉄南大阪線と西除川との間に広がる古墳時代から中世にかけての集落遺跡です。発掘調査では、飛鳥時代の巨大な柱穴を有する掘立柱建物群跡が、それらを囲む溝跡や柵列跡とともに発見されました。また奈良時代の掘立柱建物跡や井戸跡も発見されています。本遺跡近辺は飛鳥宮と難波宮を結ぶ古代官道の沿線であり、これら建物群も官道沿線に勢力を持つ豪族の居館か沿線の官衙であったと考えられます。
また近年、府道建設工事に先立って、大阪府教育委員会が調査したところ、新たに埋蔵文化財が確認され、今後、さらに調査が進められることとなりました。
遺構
![堀遺跡・掘立柱建物跡検出状況(飛鳥時代)の写真](/fs/2/1/0/1/0/5/_/s_C4-3-14-01-01-25.gif)
![堀遺跡・掘立柱建物跡と柵跡(飛鳥時代)の写真](/fs/2/1/0/1/0/6/_/s_C4-3-14-02-05-19.gif)
![堀遺跡・掘立柱建物跡(飛鳥時代)の写真](/fs/2/1/0/1/0/7/_/s_C4-3-14-01-05-16.gif)
![堀遺跡・掘立柱建物跡(飛鳥時代)の写真](/fs/2/1/0/1/0/9/_/s_C4-3-14-02-05-15.gif)
![堀遺跡・掘立柱建物群跡(飛鳥~奈良時代)の写真](/fs/2/1/0/1/1/0/_/s_C4-3-14-0001.gif)
![堀遺跡・土坑内遺物出土状況(古墳時代後期)の写真](/fs/2/1/0/1/1/1/_/s_C4-3-14-01-06-22.gif)
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