長尾街道

更新日:2018年12月13日

(ながおかいどう)

 

 市域の中央を東西に走る街道です。堺市北三国ヶ丘町の方違神社付近からまっすぐ東進して、大和川沿いに奈良県に入り、その後南下して、葛城市の長尾神社に至る街道とされていますが、現在では藤井寺市付近でそのルートがよくわからなくなっています。
 長尾街道は、中世から近世において、商業都市堺や浪速を中心とした産業の流通や人々の伊勢詣や熊野詣、高野詣などによって発展した街道と考えれます。市域でも中高野街道と交わるところなどは、明治時代まで御茶屋などがあって、”阿保茶屋”と呼ばれて、にぎわったそうです。
 しかしながらその起源は意外に古く、飛鳥時代には、側溝を備えた立派な道路がすでに同一ルート上に存在していたことが発掘調査で判明しています。記紀にも飛鳥時代に難波宮(現在の大阪市中央区法円坂)と大和の飛鳥宮(奈良県高市郡明日香村)を結ぶ”大津道”、”丹比道”などと呼ばれた官道が存在していたことが記載されています。長尾街道の起源となった古道はこういった古代の国家級官道であったと思われます。

長尾街道と住吉道との交差点付近(追分)の写真

長尾街道と住吉道との交差点付近(追分)

高見の里3丁目敬念寺前追分道地蔵像(道標)の写真

高見の里3丁目敬念寺前追分道地蔵像(道標)

現在、敬念寺前に安置されている追分道地蔵像は元は長尾街道と住吉道との交差点に存在した。

長尾街道(松原郵便局付近)とちちかみばし道標 の写真

長尾街道(松原郵便局付近)とちちかみばし道標 

長尾街道(松原郵便局付近)とちちかみばし道標の写真
長尾街道と中高野街道との交差点(阿保茶屋)付近の写真

長尾街道と中高野街道との交差点(阿保茶屋)付近

長尾街道一津屋1丁目地蔵像(道標)の写真
上田町遺跡・長尾街道沿いで発見された古代古道の側溝跡の写真

上田町遺跡・長尾街道沿いで発見された古代古道の側溝跡

上田町遺跡・長尾街道沿いで発見された古代古道の側溝跡の写真

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