107 郷土芸能 高見台楽の復活

更新日:2018年12月13日
高見台楽の様子

高見の町を練り歩く高見台楽
昭和55年10月10日。
高見の里3丁目、田中孝佳氏提供。
祭りの様子は、子どもたちにも知ってもらえるよう、ビデオにおさめられて校区の松原西小学校に保管されている。

太鼓屋又兵衛に連がる全国ブランドの大太鼓

 「ヤレーヨーイー 高見はなれてドン ドン 早や 追分や ドンドンードンドン 向ふにナ見へるわ ソーレワサ 布忍橋 ソレヨホホイ ヨホホイ ヨイ ヨイ ヨイ」
 昭和55年(1980)10月10日、高見の里3丁目の高見神社の秋祭りに、昭和初期から途絶えていた高見台楽が半世紀ぶりに復活しました。スローテンポの歌の中に、地名をおりこんだ人々の生活の息づかいが感じられます。
 高見台楽は、四本の丸太を井形に組んで直径90センチ、長さ1.1メートルの大太鼓を乗せ、その上に直径2メートルの花がさを飾っています。これをねじりはち巻き、ハッピ姿の男衆が前後18人ずつでかつぎ、その後ろを女性たちが太鼓の音にあわせて、歌いながら、町なかを練り歩くものです。
 太鼓は、このあたりでは珍しいほど大きく、堂々としています。もともとは、高見神社の北側にある浄土真宗大谷派の敬念寺太鼓楼に安置されていました(「歴史ウォーク」106)。 高見台楽は、豊作を祈って催されたと伝えられていますが、いつから始まったかはよくわかりません。しかし、けやきの原木をくりぬいた太鼓の胴の化粧や牛皮の張り替えごとに胴の中や端に、その時の修理年や修理者などが書き込まれています。それによると、大太鼓は江戸時代末期の安政2年(1855)に作られたと記されています。その後、昭和6年に現在のJR芦原橋駅の南側にあたる大阪市浪速区浪速東(旧、摂津国西成郡渡辺村)の岩田屋又兵衛によって修理されました。
 江戸時代以降、現在に至るまで渡辺村を中心とする今の浪速区芦原橋・大国町周辺は皮革づくり・太鼓づくりの町として知られています。とくに浪速東3丁目の浪速玉姫公園の地は、江戸時代を通じて全国ブランドとなった太鼓屋又兵衛の屋敷があった場所です。
 太鼓屋の屋号は、渡辺村の平八が元和2年(1616)、大坂城の「時太鼓」を作った功績によって命名を許されたと伝えられています。岩田屋又兵衛は、この太鼓屋又兵衛家に連がる太鼓屋でした。
 昭和55年9月、復活高見台楽のため、今回も牛皮が芦原橋の太鼓正によって張り替えられました。太鼓屋又兵衛家は今では無くなっていますが、この地に根づいた和太鼓業者によって、高見台楽の太鼓は伝世されました。保存会の人々の熱意が実ったのです。
 高見台楽はその後も続けられましたが、昭和62年を最後に再び中断されました。今では、大太鼓をはじめ井形や花がさは高見神社境内に建てられた「郷土芸能高見台楽保存会格納庫」の中に納められたままです。
 市内に残る貴重な郷土芸能が再び復活されて、地域の結びつきがいっそう深まることを期待したいものです。

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