菅池(堺市美原区大保)
今池とも呼ばれる。
フェンスに松原市が設置した標識がある。
右後方の森は、大保の廣国神社。
座王蔵池はその南東側に広がる。
岡水利組合が管理する堺市美原区大保の菅池
平成17年2月1日、南河内郡美原町は堺市と合併し、翌18年4月1日には堺市の政令指定都市移行にともない、堺市美原区となりました。美原町は昭和31年、平尾村・黒山村・丹南村が合併したものですが、ここに50年にわたる町制の幕を閉じたのでした。
しかし、私は美原が堺市だと言う実感はまだ湧いてきません。美原と松原は狭山池水系につながり、同じ生活圏・文化圏の中で認識されてきました。本市最南端は旧丹南村丹南ですが、他の旧丹南村の大保や真福寺などは美原に属しています。大保に浄土寺墓地がありますが、ここは、大保・真福寺などと共に丹南・岡の松原側の共同墓地であることからも、両地域の結びつきがわかるでしょう。
ところで、浄土寺墓地の南に接して菅池が水をたたえています。現在の所在地でいうと、堺市美原区大保です。池敷面積3.1ヘクタール、貯水量4万トンを測ります。この菅池の北堤樋門側と南西堤側に「ここで遊ばないように 松原市」の看板がフェンスにとりつけられています。最近まで「ここにゴミを捨てないで下さい」という松原市や松原警察署の標札も堤上に建てられていました。
なぜ、松原の飛び地でもない美原の大保に松原の標識が設置されているのでしょうか。実は、菅池は江戸時代以来、松原村岡の所有池であり、水利権を持って、池の水を岡の田畑に送っていたからなのです。
現在も、岡水利組合が堤の整備や清掃などの管理を行っています。岡5丁目の増池上に建設された岡公民館に「菅池工事記念碑」が建っており、護岸・樋門・水路・堤防・フェンス工事が昭和53~62年にわたって行われたことを記しています。
江戸時代の元文5年(1740)4月の「丹南村明細帳」に、菅池やその樋のことが記されています。つまり、「字西口 一.樋 壱ヶ所 此の樋は松原村より仕り候。大保村領内に松原村の菅ヶ池と申す池が御座候。是より松原村へ用水を取る中道筋にて御座候」とあります。このことから、丹南天満宮(丹南3丁目)の西側にあたる字西口に樋が設けられており、ここから、菅池の水が松原村岡の田畑に送られていたことがわかります。
この菅池と同じような例は、羽曳野市郡戸や美原区丹上にまたがる大座間池でも見られます。大座間池はNHK羽曳野ラジオ放送所の送信塔や水上ゴルフ場で親しまれていますが、やはり岡や立部・新堂の松原側が水利権を持っています。また、丹南の田畑にも、大保の座王蔵池・真福寺の奥ヶ池や同じ美原区太井の花田池の水がもたらされ、丹南の水利権の及ぶ池です。
このように、高所から低所へ、市域では南から北へ流れる池の灌漑はその所在地とは別に、水利権を持つ地域との関わりから理解されなければなりません。