117 陽雲寺と10世法栄の尽力

更新日:2018年12月13日
陽雲寺

陽雲寺(田井城5丁目)
昭和63年、法栄時代の建物が傷んできたため、本堂・山門が建て替えられ、太鼓楼や鐘楼も屋根瓦が葺き替えられた。
太鼓楼屋根瓦には、代々住職を務める藤木氏の紋である下り藤に木の字が見られる。

天保12年の棟札がかたる田井城の真宗寺院の歴史

 田井城5丁目の陽雲寺や田座神社(「歴史ウォーク」20)が建っている周辺は、江戸時代末期から明治時代ごろにかけて建てられた古い家々が今も並んでいます。
 奈良・平安時代、田井城は丹比郡田邑郷、のちに田井庄とよばれました。由緒ある延喜式内社の田座神社は「田にいます」という意味です。戦国時代、この地は環濠集落を形成しますが、その名残りは、ため池や農業用水にも見られます。田井の城ともいわれるゆえんです。
 真宗大谷派の陽雲寺は、田座神社に西接しています。山号を天文山と称し、寺号の太陽の陽と雲から、宇宙を支配する天体現象に結びつけて、広大な仏教思想を広めようとする信仰が読みとれます。
 陽雲寺は、来歴を知ることのできる長さ160センチ、幅40センチの長大な棟札が本堂天井裏に残っていることで有名です。棟札は、江戸時代後半の天保12年(1841)4月11日に書かれました。これは、本堂再建時に奉納されたもので、門徒が施主となり、陽雲寺10世法栄、11世法教の名で上棟されました。
 棟札表面には、創建年として「舒明天皇十三年辛丑三月廿四日」の年号(641年)があり、飛鳥時代という古さに驚かされます。この時期は、仏教を保護した権力者の蘇我蝦夷・入鹿の全盛期で、その治世が舒明天皇でしたので、伝えとして、1200年前にさかのぼらせて仏法興隆を願ったのでしょうか。
 ここには、古くから神仏を祀る宮寺が建てられていたらしく、棟札には南無阿弥陀仏の他、梵天王・天照皇太神宮・春日大明神・住吉大明神・竜王などの名も見られます。
 棟札によれば、宮寺は天台宗陽雲寺となりましたが、のち浄土真宗に改宗し、明応3年(1494)に住職の快智が本願寺8世蓮如に帰依して弟子となったとあります。快智は、明応7年(1498)5月28日に本堂を完成させ、真宗陽雲寺の開基となりました。快智は天文23年(1554)正月に亡くなり、その一石五輪塔は歴代住職墓とともに、今も本堂裏に祀られています。
 この戦国時代から340年を経た天保12年、本堂の建て替えが計画され、再建されたのです。棟札裏面には、大工棟梁の市域三宅の松井伊三八や、工事に関わった現大阪市平野・羽曳野市誉田などの人々の他、普請奉行として田井城の今田忠右衛門・庄兵衛や吉村平右衛門の名前も見られます。
 陽雲寺には、山門横に建つ太鼓楼にも文化元年(1804)3月20日建立の棟札があり、法栄が奉納しています。法栄は、天保9年(1838)に鋳物師である大谷相模家の藤原正次に梵鐘を鋳造させ、鐘楼も建立しています。
 法栄は、天保13年12月に亡くなりましたが、現在の寺門興隆を築いた住職といえるでしょう。

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