163 堀に建立された浄念寺

更新日:2018年12月13日
浄念庵の外観
阿弥陀如来立像

浄念寺跡に建つ浄念庵(天美南4丁目)と本尊の阿弥陀如来立像

 

大念仏堀同行が信仰する融通念仏宗寺院の昔と今

 天美南4丁目の堀地区で、堺-大堀線の府道延伸工事によって、8世紀後半の奈良時代の水田が見つかりました。そこには、当時の人々の足跡のほか、荷車の車輪がめりこんだ轍も残っていました。近くでは、この時期の住居や倉庫と考えられる5棟の建物も検出されています。
 その後、丹北郡堀村となった江戸時代の集落は、河内天美駅前の天美商店街を南に下った地域に形成され、水田や畠も増えていきました。
 商店街から南へ行くと、現在はフェンスで囲まれていますが、その堀遺跡を越えた、貞正寺(真宗大谷派)の南西側に、大念仏堀同行が建てた浄念寺跡の石碑と堀浄念庵の建物がみられます。
 堀村には、かつて浄念寺と称する融通念仏宗の寺院が建っていました。融通念仏宗の大本山である大念仏寺(大阪市平野区)による延宝5年(1677)6月の「大念仏寺四十五代記録并末寺帳」に、浄念寺は慶長18年(1613)に堀村檀那(檀家)によって創建されたとあります。
 創建時の住職は分かりませんが、融通念仏宗の中本山である、来迎寺(本市丹南)の寛文6年(1666)10月の「河州丹南郡丹南村来迎寺末寺御改帳」には、末寺として浄念寺があり、秀道の名が見られます。秀道は、「大念仏寺末寺帳」によれば、万治3年(1660)に浄土宗から融通念仏宗に帰依したと書かれています。
 浄念寺は近代に入って、廃寺となりましたが、今も江戸時代以来の大念仏堀同行で結ばれた34軒の檀家によって、融通念仏の信仰が受け継がれています。寺跡に浄念庵を建て、本尊の阿弥陀如来立像や弘法大師像をはじめ、阿弥陀如来絵像や多聞天絵像が祀られています。
 このうち、阿弥陀如来絵像は傷みが激しいですが、裏書に「河州布忍堀邑浄念寺什物 修補之願主看坊佉入 元文二丁 巳季冬十五日」と記されています。堀は今でこそ天美地区となっていますが、もともとは布忍地域であることがわかります。
 元文2年(1737)に絵像が修理されたのですが、13年後の寛延3年(1750)には、喚鐘も寺の什物となりました。喚鐘は平成20年に、市教育委員会が調査を行い、二つの区画に「寛延三年午十一月十三日 河州丹北郡堀村浄念寺什物 施主 浄成敬白」と「三誉心月比丘尼 清法寿光」と刻んでいました。
 住職と思われる浄成とともに、三誉心月比丘尼の名前があることと、同庵に現存する読経の際に打ち鳴らす鏧にも「十七日尼講 堀村浄念寺」と彫られていることから、女性の信仰も強かったことがわかります。
 寺跡には「道明上人」と刻まれた墓石も祀られており、「□文十二年」の年号が読みとれます。年号は寛文と推測され、1672年のことで、秀道の時期とほぼ同じですので、秀道が建てた墓かもしれません。
 墓石の横には、半跏座像の延命地蔵尊が祀られ、台石に文化六己巳年(1809)六月吉祥日と彫られています。毎年8月、ここで堀の地蔵盆が盛んに行われるのです。
 浄念庵の建つ寺地は、堀の人々にとって、ふるさとを実感する場所のひとつといえるでしょう。 

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