140 小川に造立された伊勢灯籠

更新日:2018年12月13日
伊勢灯籠1
伊勢灯籠2

小川4丁目の伊勢灯籠
大坂街道南側から撮影。明治17年(1884)2月の「小川村村勢報告」によると、小川村の戸数43戸(農業38・商い5戸)。人口206人。街道を中心に集落が形成されていた。

明治2年 55回式年遷宮神宮への献燈 大坂街道沿い

 小川4丁目の町角に1基の石灯籠が建っています。西側には、1つの本堂に本尊の阿弥陀如来像をそれぞれ祀る真宗大谷派の不退寺と浄土真宗本願寺派の正定寺が見られます。
 石灯籠やお寺の前は、大阪の平野で奈良街道から別れ、長原・川辺(平野区)を通り、市域の大堀・若林や小川を経て、津堂・小山(藤井寺市)に入り、古市(羽曳野市)に向かう大坂街道でした。大坂街道は小山で長尾街道と、古市で竹内街道や東高野街道と結ばれましたので、古市街道とか大和街道ともよばれました。
 『藤井寺市史』10巻史料編八上に江戸時代に描かれた『河内国丹北郡津堂村領麁絵図』が紹介されています。そこには大坂道の名を記すとともに道筋が示され、現藤井寺高校の南側に水をたたえ、かつて若林村が水利権を持っていた唐池の東・北側を同道が走っていました。このあたりは、藤井寺市旧路線網図でも馬街道線とよばれており、人々の往来が頻繁であったことが想像できます。村境では「是ヨリ西南小川村領」とあり、今では小川に入ると農道になっていますが、小川の町中は生活道路として街道の景観は生き続けています。石灯籠前の松井秀一さん(61)は、「昔は、この道を通って葛井寺(藤井寺市)の観音さんや誉田八幡宮(羽曳野市)にお参りに行った」と話されています。
 石灯籠は花崗岩製で、高さ2.25メートル。四角型の竿の裾を開き、三段積みの基礎に載せた神前型です。竿の正面に「太神宮」、左側面に「常夜燈」、右側面に「明治二巳辰(ママ)九月」と刻まれています。大型のうえ、笠の上に載る宝珠とそれを受ける請花もていねいなつくりです。明治2年(1869)9月、太神宮すなわち伊勢神宮(三重県)へお参りする人々の道中安全のため、常夜燈の役目をもって造立されたものです。伊勢灯籠とよばれますが、同時に村中安全も願ったものでしょう。
 伊勢灯籠は、江戸時代以降のお伊勢参りの盛行とともに、村々を通る街道沿いに設置されました。市内の道筋では小川の伊勢灯籠だけしか知られておらず、貴重なものです。この道は、遠く伊勢ににまでつながっていたのです。
 日本の源郷とされる伊勢神宮では、20年に一度行われる式年遷宮(神様を新社殿に遷す神事)によって、再生を繰り返してきました。現在、平成25年の第62回を控え、さまざまな行事が進められています。実は、明治2年は第55回の式年遷宮の年にあたっていました。神宮の中心である内宮の天照大神が明治2年9月4日、外宮の豊受大神が9月7日に新しく建て替えられた社殿に遷られたのです。まさにその時、小川に伊勢灯籠がつくられました。羽曳野市野々上の野中寺前の竹内街道沿いにも、明治2年の伊勢灯籠が建っています。
 徒歩でしかお伊勢さんにお参りできなかった時代。人々は伊勢灯籠に勇気づけられ、神宮をめざしたことでしょう。

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