141 蓮如上人ゆかりの敬恩寺

更新日:2018年12月13日
敬恩寺の画像

敬恩寺山門から本堂をのぞむ(天美東8丁目・池内)
山門から参道が斜めに本堂に至る。鐘楼横にあった「蓮如上人お手植の松」の右手には、芦田秋窓句碑(次号で紹介)や「清浄」手洗石がある。

本堂内陣を極彩色の蓮や鳥 花木で飾り極楽浄土を現出

 河内天美駅北すぐの線路沿い西側に、浄土真宗本願寺派(西本願寺)の敬恩寺が建っています。山号を吉井山といい、清風院という院号も持ちます。源平合戦で、源義仲に従った手塚(束)太郎源光盛ゆかりの寺としても知られています(「歴史ウォーク」57)。
 お寺に15枚に及ぶ「由緒誌手控」と題した文書が残っています。江戸時代後期の文政5年(1822)正月に書かれました。寺の縁起や伽藍の様子、所在地の池内村の現状、檀家の数、親戚などを記したものです。それによると、同寺は戦国時代の文明年間(1469から87)、本願寺8世の蓮如が当地方を布教して開いたとします。文政5年から334年前とありますので、文明18年(1486)ごろのことでしょう。
 現本堂は九間四面の大きさで、欅と栂を使い、床の板には桜を用いました。とくに、欅の柱は太くて重厚感を持っています。ここ最近、各地のお寺の多くは江戸時代後から末期ごろに建築されていたことから、新しく本堂が建て替えられていきました。しかし、敬恩寺本堂は明和4年(1767)3月に再建されたもので、その姿を今にとどめています。
 本尊の阿弥陀如来像は、本堂建立時に近い宝暦11年(1761)ごろにつくられました。本尊を祀る内陣には、彫刻に色彩やかに描かれた鸚鵡・白鵠・孔雀・迦陵・頻伽などの鳥が浄土の世界を飛びかっています。また、牡丹・藤・菊・菖蒲・紅葉・南天などの花や木も見られ、極彩色を見事に残しています。本尊を挟んだ正面には親鸞聖人、蓮如上人、聖徳太子、七高僧の各絵像が掛けられていますが、その壁面全体にもダイナミックに蓮の花が描かれています。極楽浄土を願い、石や貝など変色しづらい材料を砕いて絵の具としたのです。
 境内で興味深いのは、山門が本堂の正面になく、やや南に位置していることです。山門は本堂より新しく今から150年ほど前の幕末に建てられました。なぜ正面でないかというと、本堂前に「蓮如上人お手植の松」と伝える古木がたっていたからです。「由緒誌手控」に、松は俗に「蝋燭松」といい、ローソクの形に似て南河内で誰一人として知らない者がいないほど有名であったと記しています。この名木をさけるため、山門をずらせ斜めに本堂に向かうようにしたのです。黒松は遠くからもよく見え、池内の人々は村のシンボルとしていましたが、昭和9年の室戸台風で倒れ、枯れてしまいました。
 敬恩寺は、真宗寺院建築の形式を踏襲する貴重な寺です。山門を入ると池内村の若中(若者)が安政2年(1855)5月に寄進した「清浄」と書かれた手洗石があり、その前に高さ20センチほどの石台が見られます。参拝者はこの台に足をのせ、汚れを落として本堂に上がりました。身も心も清め、仏を拝むということは、境内に足を踏み入れた時から始まっているのです。

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