25 日本最古級の桝の出土

更新日:2018年12月13日
曲物井戸から出土した桝の画像

曲物井戸から出土した桝(松原市教育委員会提供)
桝は地表から1.8メートル下の井戸跡の中に埋まっていた。

荘園管理者が油を量っていた?

 国道309号沿いの新堂1丁目に市総合福祉会館が建っています。同館は昭和60年のオープンですが、その建設に伴う市教育委員会の調査で、縄文晩期の土器・弥生土器や古墳時代前期の土師器が大量に出土しました。

 古墳時代の中期に洪水によって埋没した大溝も検出されましたが、その上層からは平安時代末から鎌倉時代初めの掘立柱建物・井戸・溝が見つかりました。日常雑器の椀や皿・鍋のほか、中国や朝鮮半島から輸入された陶磁器も多量に出土しています。また、奈良・平安時代に鋳造された「皇朝十二銭」の最後の貨幣である「乾元大宝」も検出されました。

 集落跡は、国道を越えた高見の里6丁目へも広がっています。そこは、高見の里から新堂方面へ斜めに北西から南東にのびる古道で、古墳時代後半から飛鳥時代には存在していたと思われる「丹比斜向道路」、のちの住吉道に沿った場所です。いまも、市立高見苑の前を通る道はそのなごりです。

 昭和58年、国道西側の分譲住宅の建設に伴う調査でも、掘立柱建物2棟・井戸4基・溝6条が見つかりました。このうち、井戸1基は素掘りのもので、ほかの3基は檜や杉の薄板を曲げてつくった曲物を井戸枠としていました。この曲物井戸のひとつから、12世紀後半の平安末期と考えられる、わが国で現存する最古の桝が出土したのです。
 桝は、縦・横とも外径17センチメートルで、深さは9センチメートルを測ります。材質は檜か杉とみられ、板の厚さは4~5ミリメートルで、ほぼ完全な形のままで取り出されました。

 四枚の側板は3カ所がL字型・逆L字型で、残る1カ所が凸凹型に組み合わされ、木くぎで打ちつけられていました。容積は2178立方センチ(約1升2合)を量ります。

 わが国の度量衡は、8世紀初頭に中国・唐の制度を採用したのが最初です。しかし、平安後期以降は荘園や寺社によって各種の桝がつくられ、統一性がありませんでした。16世紀後半、豊臣秀吉が定めた「京桝」が江戸時代に公定桝となり、明治政府もこれを踏襲しました。

 高見の里遺跡でこの桝が見つかるまで、和歌山県かつらぎ町の宝蔵寺で発見された室町時代の「応永3年(1396)8月」銘のある1升桝が最も古いとされていました。出土した桝は、これよりも200年も古いものだったのです。

  桝は、板の厚さが薄く、木くぎを多用しているので、米を量るとこわれる恐れがあるため、油など液体の計量に使ったのではないかと推測されています。

 同地は、京都太秦の広隆寺領松原荘でした。ですから、ここは荘園管理者の館で、在地領主が使用したとも想定されるでしょう。

 桝は、上田7丁目の市郷土資料館に展示されています。市域では、現存最古級の飛鳥時代のおもりが河合遺跡で見つかるなど(「歴史ウォーク」14)、量制史上で貴重な資料を提供しています。

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