38 熱田神社と日本武尊

更新日:2018年12月13日
熱田神社の画像

熱田神社(別所6丁目)
右の社号標石(大正8年4月)は、当時の著名な儒学者・藤澤南岳の書。
鳥居左側に力石がみえる。

農業神となった白鳥伝説

 大阪府が明治12年(1879)にまとめた「神社明細帳」によると、府内には1909社がありました。なかでも、全国各地でよくみられる流行神の八幡神社、八坂神社、天神社が府内の村々でも多く勧請されていました。

 八幡神・八坂神・天神はいずれも農耕に欠かせない神でした。八幡神は穀霊神であり、のち武神として土地の守護神とされました。八坂神は五穀豊饒、厄病祓いの神と崇められています。天神は雷神であるとともに、学問の神としても祀られたのです。

 当時、市域には13社が鎮座していました。しかし、明治40年以後の合祀政策によって現在、府内では約700社、市域では10社に減り、各社は神社本庁に属しています。

 このうち、別所6丁目に日本武尊を祀る熱田神社があります。 1900社をこえた府内の神社で、日本武尊を祭神とするのは、堺市鳳の大鳥神社、羽曳野市古市の白鳥神社、寝屋川市太秦の熱田神社と、別所の同社のわずか四社にすぎません。

 日本武尊は景行天皇の皇子。南九州の熊襲や東国地方の蝦夷を征討しましたが、大和に帰る途中、亡くなり、白鳥となって飛翔するという英雄伝説の主人公です。

 なぜ、別所に日本武尊が祀られたのでしょうか。伝承では、別所に住む僧が尾張の熱田神宮(名古屋市熱田区)に詣で、祭神の日本武尊を勧請したといわれています。すでに江戸前期には「熱田大明神」として祀られていました。

 別所の人々は、日本武尊を武神として崇拝したのでしょうか。わたしはそうではないと思います。京都の伏見稲荷大社の創建に関して、白鳥が稲や田の神の象徴となっていますので、白鳥は農業と深い関係があることが分かります。そうすると、別所でもほかの農村と同じく、白鳥をシンボライズした農業神として祀ったのではないでしょうか。

 府道大堀堺線に面した大海池の東側に熱田神社の森が見えます。樹齢400年といわれる注縄をはった神木の樟が天をつらぬいています。拝殿正面には、元禄16年(1703)3月に奉納された「熱田大明神」の額が掲げられています。拝殿内に並べられた明治前期の数多くの芝居絵馬はみごたえがあります。本殿は江戸後期ごろの一間社流造りです。境内には、元禄13年(1700)や寛延元年(1748)の石灯籠、元文2年(1737)の石鳥居、延享元年(1744)や宝暦8年(1758)の手洗石のほか、力競べをした力石も残っています。

 また、珍しいものとして、石鳥居の西側に江戸中期のキリシタン灯籠が見られます。キリスト教が禁止されていた当時のかくれキリシタンの礼拝物といわれています。十字架形の下部にアーチ形の凸みをつけ、そこにマリア像と思われる像を刻んだものです。

 境内東側には別所公民館があり、また、南側の堂ケ池は埋めたてられ、公園となっています。

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