47 善正寺と本願寺歴代の名品

更新日:2018年12月13日
本願寺歴代連座銘の画像
親鸞・蓮如連座像の画像
六字名号の画像
顕如画像

 (左上):本願寺歴代連座銘(右上):親鸞・蓮如連座像

(左下):六字名号 (右下):顕如画像    

蓮如・顕如・教如上人にかかわる名号・画像・銘

堺市境に接する市域西部の天美我堂7丁目に善正寺があります。同寺は、古くは摂津国平野(大阪市平野区)にあって金剛乗院と呼ばれた真言宗でした。

戦国時代の明応年間(1492~1500)に浄土真宗中興の祖といわれる本願寺8世の蓮如の布教のおり、三好順慶の子の了道が帰依して、浄土真宗に転宗した機会に城連寺村(天美北)に移りました。

さらに、文禄二2年(1593)に住職の順欽が本願寺12世の教如に帰依し、善正寺と改称した後、江戸時代の元和2年(1616)に砂村(天美西の芝・油上地区)に移りました。その後、寛永18年(1641)になって現在地の我堂村に移転しています。

この善正寺には、戦国時代の本願寺歴代の貴重な品々がいくつか所蔵されていますので、次にそれらをあげてみましょう。

  1. 「六字名号」 蓮如は宗祖親鸞が名号を本尊としたことから、木像や絵像よりも名号を重視しました。善正寺蔵の「南無阿弥陀仏」の六字名号(草書体)は、蓮如直筆と伝えており、親鸞の教えを守って、蓮如が書写して門徒の人々に与えたと思われます。
  2. 「親鸞・蓮如連座像」 蓮如が親鸞の法流を継承する立場にいることを主張する目的でつくられたものです。上に親鸞、下に蓮如を描いた座像で、遺存例のほとんどが寛正2年(1461)から文明8年(1476)の作です。ただ、本品はこれらの年代よりも下がるかもしれません。
  3. 「顕如画像」 本願寺11世顕如の画像は、裏書を欠していますが、記録では文禄2年正月28日付の教如裏書があったといいます。顕如は文禄元年11月24日に没しますから、本画像はその死後まもなく制作されたもので、顕如画像としては最も古い時期の作品とみられます。
  4. 「本願寺歴代連座銘」 16世紀末ごろの作品で、親鸞から始まる本願寺の歴代を記したものです。最終が教如となっていることやその筆致から教如直筆と思われます。教如は文禄2年の継職後まもなく隠退を余儀なくされますが、この連座銘では自身が本願寺の正統な継職者であることを主張しているのでしょう。

これらの所蔵品は、浄土真宗教団における河内の門徒の信仰を示すものです。 善正寺では、毎年10月に行われる報恩講の時、一般の人々にも公開しています。

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