51 宝泉寺と清水井戸伝承

更新日:2018年12月13日
宝泉寺の画像

宝泉寺
本堂は昭和54年に改築された。
毎年5月20日には大念仏寺の本尊を廻仏する「天得如来御回在」が行われる。

清水の地名起源となる井戸と大阪城の巨石

 長尾街道に面する布忍の南新町5・6丁目や北新町6丁目あたりは清水遺跡とよぶ古墳時代から近世にかけての集落遺跡です。同地は布忍地域が昭和48年に新町という新住居表示になる前、清水村(町)とよばれていました。

 清水という地名は、わが国に多く見られますが、その地名起源はふつう清い水や泉がわき出ていたので、命名されたものが多いようです。本市の清水にも現南新町6丁目にある融通念仏宗の清水山宝泉寺の境内に清水井戸があり、清水がこんこんとわき出ていたと伝承されています。
 この清水井戸については、次のような興味深い話が伝えられています。
 天下人を目指した豊臣秀吉が大阪城を築くにあたり、その石垣の構築のために各地から巨石を集めさせました。

 この時、清水にも石垣に使えそうな巨石がありました。村人たちはこの石を秀吉に差し出すかどうか迷いましたが、巨石を村人総出で大阪まで運搬すれば、大変なので、役人に見つかる前に隠すことにしました。その場所として、宝泉寺境内の清水井戸が選ばれました。村人たちは清水井戸の蓋石として、それを覆いかぶせてしまったのです。

 宝泉寺の山号を清水山と称するのも、この清水井戸にちなんでいるのでしょう。現在、宝泉寺には清水井戸と思われるものは存在しませんが、宝泉寺は鎌倉末期に開創されたと伝えています。

融通念仏宗の本山である大念仏寺(大阪市平野区)の7世となって宗法を広げていた法明が、元亨3年(1323)に念仏勧進道場として同寺を創建したのです。この時、法明は現宝泉寺本堂に本尊として祀られている阿弥陀如来座像を安置したといわれています。

戦国時代の明徳2年(1391)9月28日付の大和・西大寺末寺帳に「布忍宝泉寺」の記述が見られることから、南都七大寺のひとつであった西大寺との関係もうかがえます。

宝泉寺はのち大正末年まで、大念仏寺に次ぐ中本山であった本市丹南の来迎寺(「歴史ウォーク」34)と本末関係を持っていました。

清水井戸の伝承は史実かどうか確かではありませんが、清水遺跡からは室町時代の井戸跡が検出されています。また、近くの南新町遺跡では平安時代の井戸跡が見つかり、北新町の布忍遺跡や高木遺跡でも鎌倉時代から室町時代にかけての井戸跡が出土しました。伝説の清水井戸が考古学的に検証される日も近いかもしれません。

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