71 「布忍八景」絵馬と農村文化

更新日:2018年12月13日
布忍八景絵馬の画像

「布忍八景」絵馬
「宮裏白桜」の中ほど下に「長流」「契沖」「来山」の名が記されている(布忍神社蔵、松原市市史編さん室提供)。

下河辺長流・契沖・小西来山も詠んだ布忍の景観

 北新町2丁目(旧向井村)の布忍神社(「歴史ウォーク」26・「歴史ウォーク」70)には、楠木・クロガネモチなどの巨木がおい茂っています。境内は西除川の流れに接して朱塗りの宮橋もかかり、いっそう情緒をかきたてられます。そうしたことから、江戸時代の中ごろには、神社周辺は「布忍八景」とよばれる景観が選定されたほどでした。

 八景とは、一地方にある名所・旧跡や風景を八つ選んだもの。わが国では室町時代の近江八景(滋賀県)や金沢八景(神奈川県)が有名です。松原の近くでは、江戸時代前半の柏原の城山八景、大阪狭山の狭山八景が知られています。

 「布忍八景」は、布忍の名勝を絵と漢詩・狂歌・俳句であらわしたもので、絵馬として布忍神社に奉納されました。宝永2年(1705)11月13日と記され、現在は神社拝殿に掲げられています。

 絵馬は1枚に二景が収められ、4枚で一組でした。もともとは神社の絵馬堂に4枚と向井村の庄屋であった寺田氏宅に4枚がありました。いずれもけやきの板で、大きさは各枚200センチ×50センチほどを測ります。

 八景は、宮裏白桜、孤村夕照、野塘春日、平田秋月、南山残雪、西海晩望、竹林黄雀、籠池白鴎が選ばれました。このうち、宮とはいうまでもなく布忍神社のことで、本殿のまわりに桜が咲き誇っています。また、神社の北東にある籠池に遊ぶカモメにも人々は心をいやされたのでしょう。

 八景絵馬は、板の裏に書かれた名前によって27人もの願主がいたことがわかります。布忍神社を氏神とする布忍郷の高木・更池・東代・清水・向井・堀の各村々の人が21名を占め、ほかにも松原村、現堺市域の南花田村・小坂村・北村の人の名も見られます。

 各村の庄屋・年寄クラスの富農たちが主でしたが、高木の布忍寺東之坊や更池の多聞院の僧侶もいました。彼らは雅号や俳号をもち、狂歌や俳句を楽しみました。布忍は、河内の農村の中でも文化活動が盛んであるとともに、その水準が高かったことがわかります。

 さらに、この八景絵馬の価値を高めているのは、当時の高名な歌学者の下河辺長流や国学者の契沖、あるいは俳人の小西来山の作品が「宮裏白桜」のところに見られることです。大坂で活躍していた彼らが布忍を訪れた折、詠んだ歌や俳句を親交があったと思われる願主がここに収めたのでしょう。

 いまでは、都市化によってこうした八景の景観をうかがうことができません。しかし、八景絵馬は布忍神社や庄屋宅を文化サロンとした富農層や神主・僧侶が大坂の著名文人と交流していたことがわかる貴重な文化財なのです。

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