68 正井殿の「連理の松」

更新日:2018年12月13日
正井殿(岡3丁目)の画像

正井殿(岡3丁目)
慶長年間(1596から1614)に焼失したが、寛永年間(1624から1643)に再建された。
明治初年に近くの竹之内街道沿いに移されたが、のち現在地に戻された。

縁結びや安産を願い信仰された神木の松

連理の松 丹北郡松原の庄
間西天の神木也
狂歌         利光
しなたれるひよく連理の松か枝に
人目も恥もしら藤の花
同            松緑
葉をしきてふたりねせしハこれそ
この連理の松のあれはなりけり
巣やかけん比翼連理の松の枝 意朔
契り来なけ連理のまつそ郭公 如貞
心かハりするな連理の松の色 器水

  先の狂歌や俳諧は、延享7年(1679)に出版された『河内鑑名所記』に収められたものです。同書は河内柏原の三田浄久が河内国で見聞した名所・旧跡に関する伝承や由来を地誌の形にしたもので、同地を訪れた人々の狂歌や俳諧を紹介しています。
 そのうちの1つに、丹北郡松原庄にある間西天の神木「連理の松」がとりあげられているのです。松原庄は、現在の上田・新堂・岡の地域にあたり、間西天はいまの岡3丁目の松原南小学校前に鎮座する正井殿をいいます。素戔鳴命を祭神とし、古くから岡と立部地区の人々に信仰されていました。
 この正井殿の境内に、江戸時代前半ごろ「連理の松」とよぶ河内でも評判の松がみられたのです。「連理」とは1本の木の枝が他の木の枝につき、1本の木のように木理が同じになることです。歌にある「比翼」は「連理」と結びついて「比翼連理の契り」ということばになって、男女・夫婦の仲がきわめて親密なことのたとえに使われています。そこから、縁結びや安産の神木として崇拝されるようになりました。
 正井殿の連理の松を詠んだ利光は大和宇陀郡の久野氏、松緑は大阪の小野氏、意朔は大阪の伊勢村氏、如貞は大阪の井口氏、器水は河内石川郡の人であり、各地から文人が神木を愛でに訪れています。
 松原市緑化協会は市内社寺林の調査を行っていますが、その中で正井殿は松を主体とする単木型景観林で、直径40センチ前後のクロマツも4本生育していることが報告されています(「緑と花」昭和55年13号、平成4年37号)。江戸時代の神木「連理の松」は、すでに枯れて現存しませんが、当時の松林の景観が今日まで受け継がれているといえるでしょう。
 本市は、松が長寿や節操を象徴する木であることや松原庄の地名から、松を市木に選定しているほどです。
 平成14年、歴史学者の上田正昭さんを理事長として、鎮守の森などを関連する諸学の垣根を取り払って調査研究を進め、地域に密着した新しい学問の創造と社叢の保存・開発をめざして社叢学会が発足しました。私も会員になっていますが、山地のない本市にあって、社寺林は貴重な緑です。 
 2代目連理の松を復活させたり、文化財条例で保存木を選定するなど、将来にわたって緑の遺産を守っていかなければなりません。

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