90 市域最大水面積の大海池

更新日:2018年12月13日
大海池の画像
満水石の画像
分量石の画像

島のある大海池(三宅東2丁目)
堤高2.0メートル、堤長600メートル、貯水量79,000立法メートル。
水上ゴルフ場としても利用されている。
円内左は分量石(上田1丁目)、右は満水石(阿保4丁目)。

『河内志』が紹介した慶長五年築造のため池

 大阪は年平均雨量が全国平均に比べて少なく、また河川が短小なうえ流域が狭いため、古くから農業用水を貯めるため池が数多くつくられていました。
 現在、府内にはため池が約1万ほどあり、全国で5番目の多さです。このうち、水面積が最大の池は岸和田の久米田池で45ヘクタールにも及びます。
 それでは、本市最大の水面積をもつ池はどこでしょうか。戦前まで、松原には100前後の池がありました。今では半数近くに減りましたが、三宅東2丁目の大海池が最も広大です。中堤で東大海池と西大海池に分けられ、一部、工場用地に埋められましたが、14.5ヘクタールを測ります。ちょうど甲子園球場が3個分入る計算になります。府内でもベスト15に入る大池です。
 大海池は、江戸時代末期の村方文書に「拾四町六反壱畝拾歩 慶長五子年より池ニ成」とあります。関ヶ原合戦が起こった慶長5年(1600)につくられた池であることがわかります。このとき、三宅西1丁目の深淵池も築造されました。
 広い田畑をつぶして、大池をつくったということは、よほど水に困っていたからでしょう。大きな海という壮大な名をつけた農民たちの心意気が伝わってきます。平地に新しく掘ったことから、深さは85センチメートルと浅いことが特徴です。その際、掘った土を集めて西大海池の真ん中に円山とよぶ波よけと思われる島もつくられました。
 享保20年(1735)に発刊された地誌の『河内志』は、河内平野の中に波うつ大海池を「大海池在三宅村広一千一百余畝」と紹介しています。
大海池は、狭山池用水に繋がる上田1丁目の中門の堰樋(「歴史ウォーク」79)を経て、海泉池(阿保4丁目)から水を受け、三宅や瓜破(大阪市平野区)の田畑を灌漑しました。
 しかし、江戸時代を通じて阿保村と三宅村との間にしばしば水論が起こっています。それに関して、長尾街道沿いの中門の堰樋跡には享和元年(1801)7月の「字中門三宅村大海池分量石 上田三宅立会」と刻んだ分量石が建っています。また、海泉池北堤、阿保公民館東側にも文化5年(1808)閏6月の「海泉池満水石 西阿保三宅立会」と記した満水石が見られます。両石は、各村への配水の分量を決める物差しともいえるものでしょう。
 現在、大海池は縦横にめぐらされたパイプラインによって三宅の田畑に水を送り続けています。
 今後、大海池をはじめとして各地のため池は農業用だけでなく、環境美化がはかられて都市生活に「やすらぎ」と「うるおい」を与える水辺の空間としての役割も担っていかなければなりません。

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