216 大堀八幡神社の遷座

更新日:2018年12月13日

3月7日の遷座祭

3月8日の奉祝祭

新築移転した大堀八幡神社全景(大堀3丁目)

大堀八幡神社社殿

松原ジャンクションの完成平成の大移転 氏神社の新築

 三月七、八日の両日、大堀八幡神社がこれまでの大和川に近い鎮座地から、恵我小学校の南西側に新築移転したことから、その遷座(せんざ)・奉祝祭(ほうしゅくさい)が行われました。

 大堀八幡神社は、南北朝時代の建武四年(一三三七)、隣村・小川の深居神社から分祀されたと伝え、品陀別命(ほんだわけのみこと)応神天皇を祭神としています。

 本殿は社殿(覆殿)の中に祀られ、江戸時代後半ごろの木造建物と考えられており、一間社流造・側面一間・浜縁付で、屋根は切妻唐破風向拝付の形状です。もともと元禄十五年(一七〇二)の棟札があったということですので、江戸時代前半までには本殿が建てられていたと思われます。

 現在、明治八年(一八七五)七月十五日に修理されたことを示す棟札が神社に保存されています。「奉上棟大元尊神氏子長久榮昌守護所」とあり、松原村新堂の伊藤利郎が番匠棟梁大工であったことを記しています。

 この明治初期の補修を経て、昭和四十七年(一九七二)に木造本殿はそのままに、社殿が木造から鉄筋コンクリート造につくり替えられました。大和川の水害から守ることが大きな要因だったのでしょう。同時に、拝殿も鉄筋コンクリートになりました。

 大堀では、昭和四十年代ごろから中央環状線・阪神高速道・西名阪道・近畿道・阪和道が集落を分断する形で通り、巨大な松原ジャンクションが完成しました。このため、ジャンクション近くの住民たちは、平成三年(一九九一)から近くの上ノ池埋め立て地に集団移転し、神社も集落の北側に孤立化した状態になったのです。

 氏子の人たちは参拝に不便をきたすようになったことから、平成二十二年(二〇一〇)ごろより、大堀三丁目の松原市学校給食センターが移転することにともない、この跡地に新境内地を移すことを決め、本年三月の遷宮になったものです。

 新築に際して、本殿は既存建物を修理移築して再使用することにしましたが、覆殿は鉄筋コンクリート造から、もとの木造に戻し、屋根の形状もこれまで通り切妻屋根を踏修しました。

 拝殿についても、鉄筋コンクリート造から木造に戻し、これまで割(わり)拝殿になっていましたが、手狭感があったことから、石貼りの土(ど)間(ま)拝殿に変えられました。屋根も向拝が無かったので、新たに入(いり)母(も)屋(や)唐破風向拝付屋根に改めています。

 また、旧社殿は本殿と拝殿をつなぐ形の幣(へい)殿(でん)が無かったことから、降雨時の祭礼には苦労が多かったので、移転にあたって木造で、切妻屋根の幣殿が新築されたのです。

 一方、建物以外の燈(とう)籠(ろう)・狛(こま)犬(いぬ)・手洗石・玉垣・記念碑などの工作物については、そのほとんどを新境内に移設しました。この中には、寛(かん)文(ぶん)九年(一六六九)の刻銘のある手洗石や、宝(ほう)永(えい)七年(一七一〇)十一月吉日・大堀武淑と記された石燈籠も含まれています。

 ただ、これまで参道入口にあった石鳥居は継続使用が出来ないと判断されました。もっとも、大鳥居でしたので処分せず、旧境内地に設けられた聖地跡内に、玉垣の一部とともに集積保存されています。

 本社のほか、豊(とよ)橋(はし)稲(いな)荷(り)社・楠(くす)本(もと)稲荷社も配祀されていましたが、これらの稲荷社も既存建物を再使用し、新たに保存し易くするために覆屋が設けられ、本殿東側に移されました。

 三月七日の土曜日、夜七時から旧神社より新神社へ神様をお移しする遷座祭が執(と)り行われました。あいにくの雨でしたが、大阪府神社庁をはじめ、近隣神社の宮司さん、氏子さんなど大人数の方々によって厳粛に挙行されたのです。翌八日には晴天のもと、奉祝祭も行われ、多くの崇拝者・関係者の皆様でにぎわったのでした。

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