23 阿保親王の別荘造営

更新日:2018年12月13日
阿保神社 菅原道真を祭神とする。の画像

阿保神社 菅原道真を祭神とする。
境内には「史跡阿保親王住居址」の石碑が建てられている。

「アオ」の地名は「アボ」親王から?

 市役所の所在する阿保の読み方は珍しいでしょう。「あお」と読みます。地名の由来は、平城天皇の第2皇子である阿保(あぼ)親王の別荘地からきたと言われています。

 親王は、平安時代初頭の弘仁元年(810)に起こった薬子の変(嵯峨天皇の時代、藤原薬子・仲成が平城上皇の復位をもくろんだ事件)に関連して、大宰権帥として九州へ左遷されましたが、のち許され、承和元年(834)に河内国丹比郡田坐に別荘を造営したと伝えられています。田坐の地は、現在の阿保から田井城のあたりに当たると考えられます。

 『続日本後紀』によれば、親王は性格は謙退で、文武の才能を兼ね、絃歌に秀でていたといいます。 しかし、承和9年(842)に51歳で亡くなりました。六歌仙の1人である在原業平は、阿保親王と桓武天皇皇女の伊都内親王との間に生まれた第5子です。

 海泉池の一部を埋め立てて、今年7月に「道夢館」がオープンしました。その北側に阿保神社が鎮座しています。本殿の北に並んで阿保親王を祀る親王社が合祀されています。また、本殿の南側には、直径143.5センチ、高さ16メートル、根株張5~6メートルにもおよぶ「くす」の巨木が天をおおっています。市内でも最古・最大級でしょう。
 阿保のほぼ全域(1丁目~7丁目)は阿保遺跡と呼ばれ、弥生時代から近世に継続する集落遺構が見つかっています。このうち、阿保5丁目の阿保浄水場周辺や、長尾街道北側の阿保4丁目では、平安時代の掘立柱建物跡が確認されました。また、海泉池に接する阿保5丁目からは、平安時代から鎌倉時代にかけての海泉池を利用した灌漑用の溝や井戸が検出されています。親王の別荘を想定させる遺構は見つかっていませんが、平安時代の開発の様子がうかがえます。

 阿保親王が河内国丹比郡に別荘を造営したと伝える背景には、平城天皇の更衣(後宮の宮女)であった母の葛井宿禰藤子との関わりが考えられます。

 葛井氏は百済系渡来氏族で、飛鳥時代から奈良・平安時代にわたって、河内国志紀郡長野郷(藤井寺市)を本居としていました。

 7世紀半ばに建立された葛井寺は、葛井氏の氏寺でした。永正7年(1510)、三条西実隆が記した寺記『西国三十三所名所図会』には、阿保親王が同寺を再興したと伝えています。親王の母が葛井氏の出身であったことから、親王が当地に住み、伽藍の修復をしたと伝えられたのでしょう。

 ただ、阿保の地名については親王とは別だという考え方もあります。奈良時代の『続日本紀』天平19年(747)9月2日条に、東大寺大仏造営のために銭千貫文を寄進した河内国人初位下阿保連人麻呂が見られるからです。この阿保連を当地の人物とみなせば、阿保の地名伝承は再考しなければならないでしょう。  

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