108 神明社と「ええじゃないか」

更新日:2018年12月13日
高見神社

高見神社(高見の里3丁目)
拝殿の中に、祭神のシンボルの鏡を安置した流造りの本殿が、木造狛犬とともに祀られている。

高見神社境内で乱舞した昭和天皇御大典での祝い

 「ええじゃないか ええじゃないか お前も吸いつきゃ わしもたこ 互に吸いつきゃ ええじゃないか」 昭和3年(1928)、昭和天皇が即位の礼をあげられた御大典を祝って、松原村高見の人々は、幕末におこった「ええじゃないか」を驚喜して乱舞しました。「ええじゃないか」は、慶応3年(1867)から翌4年にかけて伊勢神宮の御札などが降り、歌詞に「ええじゃないか」とはやしをつけて、集団で町や村を踊り歩いた現象です。
 高見の里3丁目の田中信治さん(明治39年生、故人)は、松原市郷土史研究会編『松原市の史蹟』(昭和47年)の高見の項で「今上天皇の御大典祝賀に、老若男女が高見台楽(「歴史ウォーク」107)とともに、“ええじゃないか ええじゃないか”と乱舞したことを今も覚えている。(中略)慶応三年は王政復古令が出て、倒幕派の活動が盛んな時であった。このため、治安の混乱をきたし、大衆は伊勢神宮の御蔭参りや“ええじゃないか”と乱舞して、エネルギーを発散させた。当時のことを知っている人々が、御大典の時にも“ええじゃないか”を歌ったものと思われる」と述べられています。
 「ええじゃないか」は、高見の里3丁目に鎮座する高見神社境内が舞台となりました。高見神社は江戸時代以降、高見村の氏神で、今も宝暦12年(1762)9月や文政5年(1822)正月の石燈籠がみられます。
 同社の祭神や由緒はよくわかりませんが、「シンメイ」様とよばれていますので、天照大神や伊勢神宮を奉斎した神明社であったと推測されるでしょう。「シンメイ」様は女神で、夜は柴籬神社(上田7丁目)に行かれ、朝方に高見神社に戻られると伝えられています。
 江戸時代、人々の伊勢参りが盛んになり、参宮を目的とした伊勢講や神明講などが各地につくられました。高見にも、伊勢講が昭和初期までありました。それとともに、神明社も勧請されたのです。また、氏神社境内に伊勢神宮の遥拝所が祀られ、柴籬神社にも遥拝所が現存しています。
 高見神社は、昭和60年に拝殿や鳥居などが再建されましたが、鳥居の南側に建つ昭和7年(1932)11月の「高見在郷軍人」「行幸記念」の2基の石碑が目にとまります。
 昭和7年、河内平野一帯で陸軍特別大演習が行われましたが、この野外統監部に高見に南接する北八下村河合(現、本市河合)の帝国女子薬学専門学校(のちの大阪薬科大学)が指定されました。天皇も行幸される予定でしたが、結局は実現しませんでした。しかし、参謀総長の閑院宮載仁親王など皇族方が視閲したことから、この記念碑が建てられたのです。
 なお、境内をおおう樟・榎・いちょうは、鎮守の森を形づくる貴重な巨木ですので、ぜひとも保存したいものです。

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