110 『恵我村地誌資料』と文化財

更新日:2018年12月13日
北山橘庵宅跡の門
北山橘庵宅跡の門(現況)
 

北山橘庵宅跡の門(左)と現況(一津屋1丁目)
左は昭和9年の『恵我村地誌資料』(一津屋1丁目・恵我法海氏蔵)より転載したもので、門には彫刻が施されていた。
現在は庭園の一部が残り、保存が望まれる。

貴重な歴史遺産を守る文化財保護条例の制定

 本年4月1日、松原市文化財保護条例が施行されました。この条例は、市内に残る歴史や文化遺産を保存して次世代に継承し、それらを活用することで地域文化の創造に役立てることを狙いとしています。近隣の自治体でも、文化財保護条例が制定されていますので、本市でもその施行が望まれていました。
 これまで、市域では国の登録文化財として別所6丁目の中山家住宅(「歴史ウォーク」100)と高見の里3丁目の田中家住宅があります。また、大阪府文化財保護条例に基づいて、府の有形文化財として北新町2丁目の布忍神社本殿と付属する木札(「歴史ウォーク」70)があり、天然記念物として丹南3丁目の来迎寺(「歴史ウォーク」34)のいぶきが指定されています。
 今後は、建物・絵画・彫刻・工芸・書跡などの有形文化財、演劇・音楽などの無形文化財、あるいは民俗文化財や樹木などの記念物が見直され、市民の関心を高めることでしょう。
 ところで、市では古文書や文化財調査を行って、『松原市史』の編さんを継続していますが、すでにその先がけともいえる地方誌が今から70年以上も前、恵我村で発刊されていました。
 それが、昭和9年(1934)に出された『恵我村地誌資料』です。別所・一津屋・小川・大堀・若林から成る恵我村の自然・歴史・文化・産業などを、当時の恵我尋常高等小学校(現、恵我小学校)の先生たちの郷土調査研究会が昭和7年から約2年半にわたって調査収集したものです。
 同書で、代表の本荘彦三郎先生は「真の郷土愛は正しく郷土を認識するにあるので、教育は土に根底を置かねばならない」と述べています。郷土の歴史を知ることによって、郷土の愛着がわき、教育も土地(地域)と密着に結びつかなければいけないと諭したのです。
 上の二つの写真を見比べてください。長尾街道を少し北に入った一津屋1丁目の同じ場所です。左は一津屋が生んだ江戸時代の著名な儒者・医者であった北山橘庵(「歴史ウォーク」74~76)の屋敷跡の門です。昭和9年当時、現存しており、『恵我村地誌資料』に掲載されています。右は現在の状況で、門は取りこわされ、保存がかないませんでした。文化財保護条例は、このような貴重な遺産を残すためにも必要なのです。 もっとも、文化財とは橘庵のような歴史上人物の遺跡だけではありません。土蔵や格子を持つ古い町並み、レンガ造りの工場、石積みの橋や井戸など、皆さんの身近かにある遺産も文化財なのです。
 市のホームページでは、第1回以来の「歴史ウォーク」が一覧できます。また、教育委員会でも文化財情報誌や文化財分布図を作成しています。条例制定を機に、各地の史跡を巡られ、文化財への理解が深められることを願うものです。

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