118 福嶋・福島家が檀信徒の善宗寺

更新日:2018年12月13日
善宗寺の外観

善宗寺(田井城5丁目)
明治7年の記録では、谷町筋に面し、土塀に囲まれた境内地は東西33間、南北25間をはかる。
山門横の題目石と右側の庫裏は、谷町時代の建造物。左側の本堂は、平成2年に再建された。

大阪谷町から明治29年に田井城に移った日蓮宗寺院

 「バーン。バーン」。土俵上の力士たちの稽古に力がはいります。大関琴欧洲をはじめ、琴光喜や琴奨菊ら、人気力士がそろう佐渡ヶ嶽部屋。3月、大阪で行われる大相撲春場所、同部屋の宿舎が田井城5丁目にある善宗寺におかれています。境内に2階建てのプレハブを構え、1階に土俵がつくられ、2階でお相撲さんが寝起きしています。
 私は藤本経尚住職や佐渡ヶ嶽親方(元関脇琴ノ若)のご好意で、2月後半の土俵開きや稽古を見学させていただきました。
 古い町並みの残る西ヶ池畔に建つ善宗寺は日蓮宗のお寺です。同寺は、江戸時代後半の宝暦8年(1758)4月、日逞が摂津国西成郡西高津村に建立しました。現在の大阪市中央区谷町9丁目から少し谷町筋を北に上がった海宝寺の南側にあたります。
 同寺は、もともと鎌倉時代に日蓮が開いた妙法寺(山梨県南巨摩郡増穂町)の末寺でした。しかし、のち堺の名刹である妙國寺と仏縁を結ぶようになりました。これを堺法縁とよびます。善宗寺の他にも、谷町9丁目の海宝寺やその西側の中央区中寺町には圓妙寺・常國寺・蓮光寺など、妙國寺の末寺が集中しています。市域では、若林の本了寺や東池寺(「歴史ウォーク」66・67)も堺法縁です。
 江戸時代以降、田井城では浄土真宗の陽雲寺(「歴史ウォーク」117)の檀家が多かったのですが、20軒近い福嶋家や福島家の人々は日蓮宗の信徒でした。ただ、明治時代中頃まで、田井城には日蓮宗寺院はありませんでした。このため、福嶋さんたちは圓妙寺から月参りや葬儀を出していました。それは、圓妙寺が妙國寺を頂点とする堺法縁の中でも、大阪府内の筆頭寺院であったことによるからです。
 明治時代に入って、福嶋家などでは田井城に日蓮宗のお寺を建てることを希望するようになりました。そこで、圓妙寺を通して本山の妙國寺に願い出て、同じ法縁のうち、圓妙寺とは得度式の際に烏帽子親の関わりを持っていた善宗寺を福嶋家の土地であった現在地に移したのでした。時に明治29年(1896)9月のことです。当時の住職は十世日基で、日基は常國寺の十九世住職も兼ねていました。常國寺は小説家の梶井基次郎の墓があることでも有名で、3月の命日には「檸檬忌」として、多くのファンが訪れています。
 翌明治30年2月、善宗寺は発起本願人である福嶋家などの機縁により、山号をこれまでの寿福山から今の福嶋山に変えたのでした。
 現在、山門脇に建つ「南無妙法蓮華経」の題目石や本堂裏に祀られている江戸時代以降の墓石や石碑、および庫裏は110年前に大阪から牛車に引かれて運ばれてきたものです。
 善宗寺は、今ではすっかり田井城の日蓮宗寺院として、人々の信仰の中にいきづいています。

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