49 願久寺の文化財

更新日:2018年12月13日
願久寺山門より本堂をのぞむの画像

願久寺山門より本堂をのぞむ
境内は、春の訪れとともに桜がみごとに咲きほこる。

平安後期の本尊と戦国期の本願寺歴代の名品

古い町並みが残る三宅中5丁目の一角に、浄土真宗大谷派の願久寺があります。近接して同派の善長寺・玉応寺も甍を競うように建っています。

 願久寺の山号は慈光山。寺伝によると、もともとは天台宗でしたが、戦国時代の永正11年(1514)、浄琢を中興の祖として浄土真宗に改宗したといわれています。

 本堂内陣に祀られている本尊の阿弥陀如来立像は、平安時代後期の藤原様式をもつ古仏です。寄木造で、滝のように流れ落ちるY字形に似た衣文をまとった豊満な体躯が見る人の心に訴えます。

 村々の真宗寺院の本尊に、平安時代の阿弥陀如来像が祀られることは多くありません。それほど古い像といえるでしょう。
本尊の背面に「寛文八歳 鳥大仏師七十九代運阿弥極之□ 慈覚大師御作 戌申 当寺本尊也願久寺釋浄賢」とあります。
このことから、江戸時代の寛文8年(1668)、5代住職浄賢の時に本像を願久寺の本尊として迎えたと思われます。

 当寺は天美我堂の善正寺(「歴史ウォーク」47)と並んで、本願寺歴代にゆかりのある品々が所蔵されていることでも知られています。

 まず、裏書に記された花押などから本願寺8世蓮如が文明5年(1473)6月18日に下付したと考えられる阿弥陀如来画像があります。いわゆる「方便法身尊像」とよばれるものです。やや大ぶりの像に48条の光明のうち、1条が真上に突き抜ける形式になっています。寺では、本願寺12世教如より賜ったと伝えています。

 3代住職の浄弘は、のち東本願寺初代となる教如と親密な関係を持ち、教如が河内一円を布教して、慶長12年(1607)に八尾別院(現八尾市の大信寺)を建立するとき、土地や門徒を提供して協力したほどです。

また、本願寺9世実如の直筆とされる「南無阿弥陀仏」の六字名号も貴重でしょう。実如の父蓮如は、宗祖親鸞の遺訓を守って名号を本尊として、これを書写して多くの門徒に与えましたが、実如も父の書風を守って名号を残しました。その書風は、蓮如と比べて丸みが強いといわれています。

 ほかにも、先の浄賢は寛文元年(1661)に親鸞上人画像、寛文3年に聖徳太子画像、七高祖画像を東本願寺3世琢如より下付され、いまも本堂に祀られています。

 なお、願久寺は南隣する善長寺とともに 、明治7年(1874)にはじめて三宅小学校が設けられた場所でもあります。

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