56 小川墓地の行基一千歳塚

更新日:2018年12月13日
無縁塔の「行基一千歳塚」の画像

無縁塔の「行基一千歳塚」
墓地正面の堂内にも阿弥陀如来像と並んで、「行基一千歳塚」が新しく祀られている。

行基を慕った人たちが1000年目の命日に建立

市域東北部を流れる東除川に架かる一津屋橋の北東側に小川墓地(小川1丁目)があります。

同地は、住宅に囲まれていますが、もともとは高台になっていました。昭和9年に恵我尋常高等小学校から発行された『恵我村地誌資料』によると、墓地には松・樫・竹・柿・葦・笹がおい茂っていると紹介されています。

墓地を入ると、すぐ無縁塔がありますが、ここで興味をそそるのはその正面下段に「行基一千歳塚」が祀られていることです。墓石正面上部に行基の坐像を浮き彫りし、下部に「行基大菩薩、一千歳塚」と記されたものです。右側面に「天平勝宝元年巳丑二月二日入滅」、左側面には「延享五戊辰年二月二日」とみられます。

つまり、この墓石は奈良時代の高僧である行基が天平勝宝元年に亡くなって1000年目の命日にあたる江戸時代半ばの延享5年(1748)2月2日に建てられた供養塔なのです。

行基は、大阪府内を中心に寺だけでなく、橋や堤防や灌漑池をつくって、民衆のためにつくしました。このため「生き仏」とよばれ、のちのちまでも信仰されたのです。

とくに近世、行基信仰を広めたのは葬祭業務や墓守りに従事した三昧聖でした。彼らは、延享4年(1747)に奈良・東大寺で行われた行基一千年忌供養会に参加しました。行基が東大寺の大仏づくりに尽力したことから、東大寺で供養会が催されたのでした。

三昧聖は、勧進活動としてすぐさま各地の墓地で「一千年御忌」を勧修し、供養塔を建立しました。その一つが小川墓地にある延享5年2月2日の行基塚なのです。

大阪府や奈良県の墓地のあちこちに、こうした行基信仰の墓石が建てられています。丹南5丁目に接する美原町大保の浄土寺墓地には、延享5年2月2日「行基大菩薩塔・一千年忌為報恩立」の供養塔があります。ここは市域の岡・丹南と、美原町太井・大保・真福寺・丹上・下黒山の共同墓地です。

また、大海池畔の三宅東3丁目にある三宅・別所墓地にも「三宅行基墓地」の石柱の前に、延享5年建立の「行基大菩薩」の墓石が新しくつくられた行基坐像と並んで安置されています。

さらに、南新町4丁目や河合5丁目近くの大泉緑地東側の中村墓地には「開起行基菩薩」と刻まれた一千歳塚が祀られています。同墓地は、堺市中村や南花田とともに布忍(新町)地域の更池・清水・向井・高木の共有です。

なお、立部や西大塚などの小土墓地にみられる貞享4年(1687)10月の「行基菩薩塔」(「歴史ウォーク」55)は、前年に創設され、三昧聖の元締となる東大寺龍松院の勧進活動によって建てられたものでしょう。

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