72 『河内鑑名所記』の文人たち

更新日:2018年12月13日
「河内鑑名所記」に載せられた柴離宮の画像

「河内鑑名所記」に載せられた柴離宮
想像図だが、「左近の桜」「右近の橘」があるように平安時代以降の御所をアレンジして描いている

柴離宮を詠んだ井原西鶴と松原の作者たちの競作

延享7年(1679)に出版された「河内鑑名所記」は、河内地方の名所・旧跡を紹介した地誌として有名です。柏原の三田浄久がこれらの場所を訪れた文人たちの狂歌や俳諧を載せてまとめたものです。

のちの江戸中・後期の「河内志」や「河内名所図会」の先げけとなった観光ガイド本といってもよいでしょう。 この「河内鑑名所記」には260人もの詠者がみられ、その数は271首977句におよんでいます。

彼らの出身地は近畿地方だけでなく、江戸や中国・九州地方にも広がっていました。もちろん、そこには松原地域の村々の人たちも含まれています。 三宅村の一守、田井城村の平本重成、布忍村の寺内栄貞・薮貞弘・安求・一志・好昌・易幸、小川村の谷正明の9名です。
とくに、布忍村在住者が6名もみられ、多くの狂歌や俳諧を詠んでいます。

こうしたことから、布忍村には文学サークルがあったのではないかと考えられます。のちの宝永2年(1705)に布忍神社に奉納された「布忍八景」絵馬(「歴史ウォーク」71)に布忍の人たちの作品が数多く載せられているのも、その流れをくむものでしょう。

松原地域の文人たちは、布忍神社や布忍寺東之坊、あるいは神社の前を流れる西除川の別称である布忍川のほか、天美の我堂村に造られた古墓の狐塚、阿保の阿保親王ゆかりの稚児ヶ池など、地元の風情を多く題材にとりあげました。

 ところで、「河内鑑名所記」には「好色一代男」や「日本永代蔵」などを著した浮世草子作家の井原西鶴の俳諧も5句おさめられています。西鶴は浮世草子を書く以前は、俳諧の第一人者でした。彼は三田浄久とも親交があり、広く河内の農村を歩いて俳諧の指導にあたっていました。

こうした時期、西鶴は現在の上田7丁目にある柴籬神社(「歴史ウォーク」7)を訪れて、次のような句を詠んでいます。 「柴籬宮 むくけうへてゆふ柴垣の都哉」第18代反正天皇の都である丹比柴籬宮跡と伝える柴籬神社で白色の花を咲かせた木槿の木を詠んだものです。この西鶴の句をひきだしたかのように、同句の前で、三田浄久がやはり柴籬宮を題材に「柴垣のみやこに咲や車ゆり」と詠んでいます。

「河内鑑名所記」が発刊された17世紀後半、柴籬神社は市域の中でもいまでいう観光地として脚光をあびていました。同書は、巻四の巻頭で「柴籬之都」として別項目をたてているほどで、人気俳諧師の西鶴の句とともに、上にあるような挿画も描かれました。 松原を文化の町とするためには、江戸時代の名所・旧跡を再整備することが必要でしょう。

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